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伝統的なファイフ

※ このページはミュージック・モルノーの許可を得て翻訳・公開しております。元ページはこちらです。

伝統的なモデルについて

「トラディショナル」とは、1950年代に登場した音楽的な「フルート・ファイフ」に移行する前の、20世紀によく演奏されたファイフのモデルのことです。
1 伝統的なファイフは、通常1ピースですが、2本継ぎの場合もあり、歴史的なファイフに見られるタイトな円筒形のボアを持ちながら、演奏性を高めるために細かな工夫が施されています。
私の父や祖父の世代がこの時代の鼓笛隊で演奏していたものが、これら「トラディショナル」スタイルで20世紀に作られたファイフです。 これらのモデルは、「ジェイバードjaybirds」と呼ばれる人たちや若い趣味人たちの収集品であり象徴的な存在になっています。
私はこの3人の名工に師事できたことを光栄に思っていますし、そのおかげで多くの名工の手法を理解することができました。

この時代のファイフの伝統的なピッチは、A=443hz前後でした。 これは「業界標準」ではなく、多くの場合、楽団が自らピッチ選択する場合は、その楽団の最高の奏者を基準にしました。
その奏者が弱めに演奏したり「めり吹き」で音程を下げたり、逆にたくさん吹いて音程が上がることがありました。 つまり、典型的なファイフ奏者はA=441~446Hzの間で演奏していました。
コルクを動かして「チューニング」する奏者もいますが、これによって筒音の音程を変えることはできても、音階の他の音程は狂ってしまいます。 チューニングとは、多くの古い演奏家の言葉を借りれば、「笛ではなく、演奏者にある」のです。つまり、演奏者がどのように楽器に息を吹き込むか、アンブシュアを吹き込む唇に寄せるか離すか、演奏をする演奏者の姿勢など、演奏者の姿勢が大きく関わります。

ファイフは明らかにフルートの仲間ですが、ピッコロと同じように演奏するのが一番です。 このことを理解しないプロのフルート奏者が、この楽器はフルートのように吹けないので表現力が乏しいと言い、民謡のファイフ奏者が演奏するのを見て悔しがるということがよくあるのです。 歴史的なファイフについて、私のページをご覧ください。
伝統的なファイフは、18世紀と19世紀の様々な音程を反映した楽器の一例です。
これを読むと、自分自身のためになるかもしれません。

クロース・クロスビー/ペンツェル・ミュラーの2本継ぎファイフ Cloos-Crosby/Penzel Muller 2-pc fife

私が若かった頃(70年代)、ほとんどのファイフ奏者は、このデザインまたはモデルのファイフを愛用していました。彼らの時代には標準的なものでしたが、もう製造されていなかったので、家族か仲間から譲り受けないと手に入れることは不可能に近かったのです。
19世紀末にクロース社によって設計され、ペンツェル・ミュラーが買収した際、美観に若干の変更を加えてこのモデルを継続しました。
私のコレクションには6、7本あり、クロース社製とペンツェル・ミュラー社製のものがありますが、どれも少し違うだけで基本的には同じものです。最近、私はある人からこれを複製するよう依頼され、進行状況の写真を掲載したところ、何人かのファイフ奏者から、これを定番品として提供するよう勧められました。
19世紀には材料の価格が価格に大きな影響を及ぼしていたのですが、今日では残念ながら人件費が物のコストを判断する基準になっています。 そのため、この楽器は決して安くはありませんが、オリジナルと同じように良いものです。
ヘッドは黒檀、ボディはローズウッドでできています。金属はジャーマン・シルバーと真鍮を使用しています。ピッチは伝統的なBbです。受注生産品で、納期は6週間から8週間です。

出典 MusiqueMorneaux

ナハ・フェラリー・モデル(「ナハ」はドイツ語で「~風に作られた」という意味)The “Nach” Ferrary Model

出典 MusiqueMorneaux

ヘンリー・「エド」・フェラリーはニュージャージー州カーニーで28年間働いた機械工で、1967年にコネチカット州エセックスに移り、自宅ガレージの隔壁の後ろに「秘密の店」を構えました。
エドがこの分野に進出するまで、地元の他のファイフ職人は、古く、粗雑な方法に頼っていました。エドの開発した「秘密の作り方」とは、ボアを削りながら磨くというもので、はるかに演奏しやすいファイフを作り出しました。それはボアを完全に密閉するというわけではないものの、温度変化に対して音程が変わりにくくしたのです。
エドは何年も前から、彼の制作方法は墓場に持ち込むつもりだと誓っていました。彼は自分の「秘密」を固く守っていたのに、人生の最後の数年間は、私の最初の師匠としてごく稀に自分の制作法を伝授することがありました。
彼は彼が言うところのグレ「ニ」ディラGrenidella材、つまりアフリカン・ブラックウッド、またはムピンゴとして知られるグレナディラのこと、しか使わないことを誇りとしていましたが、購入者に対してはしばしば「エボニーEbony」と呼んでいたようです。
エドは一時期Deep River Fife & Drum Corpsで演奏し、Deep River Ancient Musterの運営委員長も務めましたが、その後、コネチカット州エセックスのContinentals Fifes & Drums(現在は消滅)でのみ演奏するようになりました。

出典 MusiqueMorneaux
ヘンリー・「エド」・フェラリー 1977年

ナハ・フェラリー・モデルは、「エド」が私に作ってくれたファイフを元に正確にコピーした楽器であり、それは彼が中西部のいくつかの楽団のために作ったモデルでもあるのです。

アフリカン・ブラックウッドはかなり高価になってしまったので、モペイン材をお勧めします。近年はブラックウッドの海外取引が厳しくなったため、モペイン材は海外からの注文に特に適しています。
モペイン材はアフリカン・ブラックウッドの特性をすべて備えていますが、黒くはありません。 私のレプリカは、地元の「フェラリーのファイフ専門家」をも欺くほど正確にコピーしていますが、彼はエドと親しい知人でもありました。
リクエストにお応えして、「ショート・フェルール・バージョン」もご用意しました。
写真はホンジュラス・ローズウッドですが、リクエストに応じて他の木材もご用意します。

ヨーク・タウン・モデル Yorktown Model

ヒストリカルページにあるカレンダー1787モデルを元にして、現代の鼓笛隊のために伝統的なBbキーを演奏するよう最適化されたファイフです。このようなファイフを初めて製作したヨークタウンの鼓笛隊にちなんで名づけられました。 現在、ホンジュラス・ローズウッドとボコーテ・ウッドのみが提供されています。
 

出典 MusiqueMorneaux

キップ・セビニー・モデル Kip Sevigny Model

クリフォード・アンソニー・「キップ」・セヴィニー(1897年~1975年)は、コネチカット州ハダムのタイラビルに生まれ、両大戦の陸軍退役軍人(高射砲手として従軍)、CT州兵予備役少尉、コネチカット州チェスターの町のボランティア消防士、タイルカッター、父親との大工、そして笛製作者として働きました。大恐慌の時代には、石油会社に就職し、いとこのためにガソリンスタンドを経営した時代もありました。キップはチェスターで生涯を閉じました。

彼の家は、両親と妹と一緒に埋葬されているセントジョセフカトリック墓地の北側を見下ろすように残っています。

出典 Dusty Strings ホームページ
クリフォード・アンソニー・「キップ」・セヴィニー 1919年

キップのファイフは当時よく知られていましたが、彼は少数しか製造しておらず、クロースやペンゼルミュラーなどの一般的に知られたメーカーに対抗することができませんでした。 彼は自分のデザインを持っていて、Cloos社のことを彼から「盗んだ」と苦々しく思っていたのです。

数年後、エド・オルセンから、ヘンリー・「エド」・フェラリーはキップのデザイン、つまりトーンホールの配置と内径を盗んだが、独自の孔空け方法を使ったと聞きました(ナハ・フェラリーの項を参照)。私が扱ったいくつかの典型的なキップのファイフとFerraryのBb管の孔の配置を比較すると、エドの言い分がよくわかります。

先代ラルフ・スウィートは1957年頃にKipを訪ね、彼がファイフを作るところを見たことがあり、その時のことを私に話してくれました。Kipは生前、Chester Fife & Drum Corpsが使用する全てのファイフを製造し、彼のファイフの一部はイリノイ州のCenter for American MusicにあるSousa Band Archivesに展示されています。
1892年以降のSousa Bandは20世紀のごく初期にKipのファイフセットを購入し、楽隊が解散する1930年くらいまでそれを使用していたようです。

Kipは1975年にChesterで亡くなりましたが、彼のファイフはすでに近くのEssexでHenry "Ed" Ferraryが作ったファイフに取って代わられたようです。

キップがツイスト・ドリルやリーマーを使ってボアを作っていたのに対し、フェラリーはガン・ドリルを使って、滑らかで光沢のあるボアを作っていました。そのため、フェラリーのファイフは特に高音域が演奏しやすかったのです。

私のレプリカはキップの「スタンダード・デザイン」で、キップが好んで使用した短いテーパー・フェルールと、私が製作したすべてのボアと同じように製作されています。 私はこの素晴らしいモデルを、キップの思い出を絶やすことなく、また地域的にインパクトのあるファイフをコレクションに加えるために製造してします。

出典 MusiqueMorneaux