出典 A Guide to the Irish Flute
左からマイク・ケイシー、マイク・ラファティー、ポール・ウェルズ
出典 A Guide to the Irish Flute
東ゴールウェイの地図。マイク・ラファティーが生まれ育った場所は明るく表示されている。
出典 A Guide to the Irish Flute
パート1:家族と故郷
『家族』
子供時代をすごしたのは何という村ですか?(M)
Larragaです。これがその村で、郵便局はKylebrackにあって、KylebrackはLeitrimの教区とBallinakillの教区の境界線の辺りにありました。LoughreaからWoodfordへの道をたどるなら、Woodfordから5マイルほどのところで、そこからさらに1マイルいくと、そこがLarragaです。
家が1軒あって、幾つか農地を越えていくともう1家あって…小さな農地ですよ。それから、1軒、2軒、3軒、…、ええ、あの頃は7軒ありました。たったそれだけですが、大事なことは7軒すべてがラファティー家だったということです。みんなラファティーだったのです! もし誰かよその人が紛れ込んできたら…恐る恐る言ったものです。「皆さん御親戚か何か…?」 でももう何もありません。廃屋だけです。その廃屋も取り壊されてきています。次々と新しい家が建っていますから。
もう古い家は見つけることは出来ないでしょう。すっかり更地になってしまいました。
Ballinakillは教区なのですか?(P)
そうです。パブが2軒しかありませんでした。町はありませんでした。一時期は店(grocery store)が3軒ありました。あちらでは小さな店のことをgrocery storeというのです。紅茶とか砂糖とか売っていました。お店に入ってジャガイモを買う、なんてことはしません。
ジャガイモは自分で作るものでした。町では買うこともありましたけど。キャベツや他の野菜も出来れば自分で作りました。ミルクも、バターも。小さな農園ですけれど。バターは買わなければならないこともありました。それは自分の土地で牛を何頭飼えるかで決まってきました。
生まれたのは何年ですか?(P)
1926年です。
ご兄弟は?(P)
7人です。
私は4番目でした。兄が3人と妹が3人です。
お父様のご職業は?(P)
農夫でした。わずかな土地を耕していましたが、目が見えなくなって…白内障でした。あの頃は白内障も治せなかったのです。いわゆるquack doctor(民間療法)のところへ行って、それで治せると思ったのですがダメでした。父の視力がわずかに残っていた頃を覚えています。
それはつらかったでしょうね。(P)
ええ。私たちはみんなまだ幼かったですし。大変でした。母が畑の仕事をして、兄達も手伝いました。
『家庭での音楽』
子供の頃、家庭に音楽はありましたか?(M)
ええ、たっぷりありましたよ。みんな父のフルートを聴きにきました。Son Donnellyという名の男。聞いたことがあるでしょう。フルートの名人です。ホイッスルもうまいです。彼に並ぶものはいないと思います。指使いが素晴らしくて、彼のフルートの音色は抜群です。
お父様はフルートをやっていらっしゃった…(P)
ええ、父の名はトム。トーマスでした。どこで音楽を学んだかはわかりません。祖父が音楽をしたという話は伝わっていませんが、父のいとこはフィドルが上手でした。若い頃、お互いに刺激しあっていたのだと思います。それから、もう1人トム・ブロダリック Tom Broderickという男がいてフルートをやっていました。2人は寄付集めのイベントや家庭のダンスパーティーで演奏していて「2人のトム The Two Toms」として知られていました。父はフルートで大きな音を出すことができ、人々はまるで風のようだと思いました。その息で大きな樽を一杯にすることが出来ると言われたものです。それが「バレル(Barrel 樽)」というニックネームの由来です。
ミュージシャンたちがお父様の演奏を聞きにこられたのですね。(M)
いや、家に来てセッションしたのです。道を少し行ったところにフィドルを弾く人がいて、たぶん私より2、3歳年上の若い人でした。その人はよく来ていて、私と一緒に演奏したものでした。そういう時、父はあまり演奏しませんでした。でもそれ以前はみんなよく来たものでした。ジャック・ コーグランJack Coughtlanという人がよく家に来ました。みんな彼の音楽を聴きました。で、私が大きくなって、私達ふたりでホイッスルを吹きました。家でダンスパーティーがあって、音楽はホイッスル2本。みんな聞いてくれました。一緒になって結構うまく吹きましたよ。
一音一音まねしてね。それが出来ないとお目玉でした。まあ、「やさしく」ですが。
2本のホイッスルって、お父様とご自身ですか?(P)
ええ、そうです。
当時ギターはありませんでしたし、アコーディオンもありませんでした。
音楽を始めた時のことを覚えていますか?(M)
ええ、よく覚えています。おじのパッキー・モロニー Packie Moloney が家にいました。私はよく古いクラークのC管ホイッスルを噛んでいたのですが、おじは、「やめとけよ。ちゃんと吹けるように練習しよう。」と言ったのです。そして、少し吹いてくれました。それから”The Wearing of the Green” を少し吹きました。それが始まりでした。それからはホイッスルを噛むのもやめました。父がその後を引き継いで、手ほどきをしてくれました。8歳の頃です。
最初に吹いた曲の題名をもう一度お願いします。
"The Wearing of the Green"です。それからもう1つは"I Have a Bonnet Trimmed with Blue"でした。二つともマーチですね。次に覚えたのは"The Walls of Liscarroll" だったと思います。難しいジグでした。でも父が教えてくれた曲なのです。どれだけ時間がかかったか覚えていません。
一回に少しずつ教えてもらい、外に出て畑で練習しました。覚えたら戻ってきて次のところを教えてもらうのです。毎晩でした。父の気が向いたときだけですが。
このインタビューは「パート2:演奏を学ぶ」に続きます。