現在、カートには商品がありません
カートの中を見る
ご利用ガイド お問合せ

ケルトの笛とは

レキンタ Requinta

ガリシアの伝統的な横笛「レキンタ」

スペインのガリシア地方には、横笛の演奏が盛んなウジャという地域があります。
レキンタは、そんなウジャで演奏されるフルートで、伝統的なものは5本継ぎの円錐形の管体とチューニングスライドを持ち、足部管に1つキーがついた柘植製のF#管のフルートのことを指します。 (チューニングスライドの具合によってはF管とされることも。G管の伝統的なレキンタは稀)

A Gaita de Vilanova (1925-1936) のメンバー、ホセ・カンペロ氏が使用していたレキンタ。O Obradoiro García de Riobóで製作されたもの。提供: A Requinta de Xian

ウジャでは、B管のガイタが伝統的に用いられ、レキンタも、このガイタや小太鼓などと一緒にバンド形式で演奏されてきました。
ガイタは音量が非常に大きいため、これに埋もれないよう、レキンタではガイタの1オクターブ上の音域を演奏します。
つまりレキンタは、2オクターブ目の上半分と3オクターブ目の下半分の音域を演奏し、1オクターブ目の音域を演奏することは、伝統的なスタイルではまずありません。

レキンタ (Requinta) は、reが「再び」、quintaが「5番目の」という意味で、元々は「あるものを5度高くしたもの」という意味で用いられていました。
それが転じて「5度」という意味を失い、高音域を演奏する楽器という意味で、このような名前が使われるようになったと考えられています。(ちなみに、ガイタでも「レキンテオ」とは、2オクターブ目の音を鳴らすことを言います)

音階は伝統的なガイタと同様に全音階を演奏します。
そのため、キーは半音階を演奏する目的では使われず、高音域の音程を正確に取ることだけを目的に用いられてきました。

レキンタは、ガリシアの中でもウジャ川の中下流域、特にア・エストラーダ (A Estrada)、ボケイション (Boqueixón)、カルカシーア (Carcacía)、トウロ (Touro)、ベドラ (Vedra)、シジェーダ (Silleda)、ビラ・デ・クルセス (Vila de Cruces)、パドロン (Padrón) などの町で盛んに用いられてきました。
ガリシアの他の地域では、現在でこそフォークミュージックなどで用いられるものの、伝統として根付くことはありませんでした。

運指表

ウジャで演奏されるレキンタの一般的な運指。左手を全て押さえた時の音が主音 (つまり、F#管であれば主音はBとなり、Bの調のガイタと一緒に演奏される)。ただし、レキンタの設計によって、特に3オクターブ目の運指が違うものもある。

ガリシアの伝統的な横笛「ピンファノあるいはフラウティン」

ピンファノ (Pínfano) やフラウティン (Frautín) は、一般にピッコロに相当する音域の横笛で、伝統的にはD管が一般的でした。
レキンタの伝統が盛んなウジャではピンファノという呼称が用いられ、その他のガリシアの地域ではフルートを表すFrautaに縮小辞-ínを付けたフラウティンという呼称 (小さいフルートの意味) が一般的でした。

これらの楽器は、葦に穴を開けて自作したものから、ガイタ職人が製作する比較的質の高いものまで様々なものがあり、ガイタなどの高価な楽器と比べると入手しやすいことから、ガイタ奏者になりたい子どもの練習用の楽器としての役割を果たしました。
伝統的には、表に6つの指孔があるキーなしのものが一般的ですが、ガイタの運指をまねて、表に7つ、裏に1つの穴を開けたものも使われていたと言われています。

ホセ・カンペロ氏が使用していたピンファノ。O Obradoiro García de Riobóで製作されたもの。提供: A Requinta de Xian

歴史「ガリシアにもたらされたフルート」

レキンタは構造上、トラヴェルソ、特にバロックフルートに内径のデザインが似ていることから、フランスから伝わったものと考えられていますが、どのような経緯でガリシアに入ったのかに関しては、定説はありません。
現在では、持ち運びしやすいフルートを、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼者が持ち込み、土着化したとか、スペイン独立戦争の時に、ナポレオン軍の鼓笛隊が持ち込んだのだとかといった仮説が語られていますが、これを明確に裏付けるものはなく、詳細は不明とされています。

レキンタ以外にも、ガリシアには今日一般的に「アイリッシュフルート」と呼ばれているようなD管のフルートや、多鍵式のフルートもドイツやフランスなどから持ち込まれました。
また、ベーム式のモダンフルートはヨーロッパ各地からだけでなく、多くのガリシア人が移民として渡った中南米から持ち込まれることもありました。

これらのフルートは、ガリシアの伝統音楽で使用されるケースは見られたものの、田舎のガリシアでは入手が難しく、また輸入しても非常に高価だったことから、伝統として深く根付くことはありませんでした。

ポンテベドラ県ソリバス (Sorribas) で20世紀の初め頃に写真家のペドロ・フェレール (Pedro Ferrer) が撮影した写真。リベイラーナを踊る人々に合わせて、ガイタとフルートを演奏する男性の姿が写っている。

ガリシアの無形文化遺産を保護するプロジェクト、Proxecto Ronselで葦を使った笛づくりを実演するパブロ・カルピンテーロ。

製作家の中では特に、ア・エストラーダに工房を構えていたガルシア・デ・リオボ (García de Riobó) が有名で、ガイタの他にレキンタやピンファノを製作していました。

ガルシア・デ・リオボの工房の様子を紹介する番組。現在でも足踏み式の旋盤や、当時の楽器の設計図などが残っている。

歴史「レキンタの伝統」

レキンタは元々、ソロで演奏されていたと言われていますが、20世紀に入るとレキンタはガイタと一緒に演奏されるようになります。1920年代になると、ソウテーロ・デ・モンテスで活動するオス・ガイテイロス・デ・ソウテーロ (Os Gaiteiros de Soutelo) が、ガイタ2人、小太鼓 (タンボリル) 1人、大太鼓 (ボンボ) 1人で演奏するスタイルで人気となり、ウジャの地域でもこのスタイルをまね、ガイタ2人、レキンタ2人、小太鼓 (タンボリル、またはカイシャと呼ばれるスネアドラム) 1人、大太鼓 (ボンボ) 1人のスタイルが完成しました。

20世紀前半には、レキンタはその黄金期を迎え、レキンタ奏者はガイタ奏者よりも人気が高い地域のスターとなります。

このようなレキンタのバンドの中でもア・レキンタ・デ・カルカシーア (A Requinta de Carcacía) やオス・クリストーボス・デ・アルノイス (Os Cristobos de Arnois)、オ・コロ・デ・ベア (O Coro de Vea)、ア・ガイタ・デ・サン・ミゲルなどが有名で、中でも特に、オス・アイリーニョス・ダ・ウジャ (Os Airiños da Ulla) は1970年代まで活動を続けました。

1950年代には約20あったと言われるレキンタのグループですが、その後農村部から都市への人口流出などの影響で急激に減少し、その伝統は失われかけました。

歴史「伝統楽器の再興に取り組んだアントン・コラル」

ガイタやサンフォーナ、ピトなどの伝統楽器の再興に取り組むアントン・コラル (Antón Corral) は、オルティゲイラに工房を構えた1979年頃、レキンタの製作にも取り組みます。
彼はア・エストラーダでG管に近い調のキーなし、黄楊製のレキンタを入手し、これを基にいくつかの改良を加えたモデルを完成させました。

まず、この時代のガリシアのガイタはC管で演奏することが最も一般的になったため、これと一緒に演奏できるよう、レキンタにもG管を採用しました。
また、伝統的なレキンタにはガリシアで採取される黄楊が用いられてきましたが、グラナディラやココボロなどの高級材も導入しました。
さらに、右手小指のキーに加えて、薬指 (G管の場合はA#に相当) にもキーを付けることにより、クロスフィンガリングとの組み合わせで、全ての半音階に対応できるようになりました。
伝統的なウジャのレキンタのレパートリーには半音階は必要ありませんでしたが、時代が進むにつれて、ウジャ以外の地域の半音階を用いるガイタのレパートリーや、同主調での転調が発生する曲、歌やサンフォーナの曲も演奏することが多くなったため、このような曲を演奏するには半音階が不可欠だったのです。

自身が製作したレキンタについて解説するアントン・コラル。

アントン・コラルは1988年にこれらの伝統楽器を紹介するCD、”Instrumentos Musicales Populares Gallegos”を録音し、ここで彼の製作したレキンタの音を聴くことができます。

歴史「ウジャの伝統的な演奏の再興」

一方、伝統的な演奏が失われかけたウジャでは、90年代に入ると、ガイタ奏者のエンリケ・モンテーロ (Enrique Montero) がウジャの伝統的な演奏を調査して”A Requinta na Ulla”という本を出版。
この時のインフォーマントらと共にア・レキンタ・ダ・ウジャ (A Requinta da Ulla) というバンド結成します。このバンドは一旦解散するものの、後に若いメンバーが加入して、ア・ガイタ・デ・サランドン (A Gaita de Sarandón) というレキンタのバンドが再び誕生し、録音も残しました。

その後、エンリケ・モンテーロの研究成果を出発点として、民俗音楽学者で楽器製作・研究者のパブロ・カルピンテーロ (Pablo Carpintero) がボケイションでレキンタのバンド、ア・レキンタ・デ・シアン (A Requinta de Xian) を結成。レキンタのレパートリーの再興に取り組んでいます。

また、ア・ガイタ・デ・サランドンやア・レキンタ・デ・シアン、ア・レキンタ・デ・カルカシーアなどの流れを引き継ぐ若者らが中心となって、それぞれア・レキンタ・ダ・ラシェイラ (A Requinta da Laxeira) や、ド・フォンド・ド・ペト (Do Fondo do Peto)、エルデイロス・ダ・レキンタ・デ・カルカシーア (Herdeiros da Requinta de Carcacía) を結成するなど、その伝統は新しい世代にも着実に受け継がれています。

ア・レキンタ・ダ・ラシェイラ

エルデイロス・ダ・レキンタ・デ・カルカシーア

現代のレキンタ

現代では、全盛期と比較すると伝統的なスタイルのレキンタの演奏者はまだ少ないものの、地元のお祭りなどでは欠かせない存在になっています。毎年2月にはガリシア各地でエントロイドと呼ばれるカーニバルが開かれますが、ウジャではカーニバルとレキンタが混ざった独特の祭りが行われています。

また近年では、レキンタはウジャの地域以外の伝統音楽でも用いられています。

ルーゴを中心に活動するOs Minhotos

ビーゴを中心に活動するOs Carunchos また、レキンタは伝統的な演奏スタイルだけに留まらず、フォークミュージックなどでも盛んに用いられています。例えば、アントン・コラルの教育活動を引き継いだ元ミジャドイロのロドリゴ・ロマニは、伝統楽器を用いたヨーロッパ初のオーケストラ、SonDeSeuを結成し、ここではレキンタを含む多種多様な楽器が用いられています。

また、SonDeSeuのバイオリニストのベゴーニャ・リオボが率いるバンド、Riobóでもフェルナンド・ペレス (Fernando Pérez) がレキンタを演奏している他、同バンドのブズーキ奏者のショセ・リス (Xosé Liz) によるレキンタの演奏も、別のLizgairoというグループのCDで聴くことができます。

最近は他のケルト地域におけるアイリッシュフルートの影響も少なからずあり、高音域の全音階を中心にした伝統的な演奏に限らないレキンタの演奏も徐々に多く聴かれるようになってきています。伝統的な演奏と共に、フォークミュージックにおけるレキンタの演奏は、今後さらに発展する可能性があると言えるでしょう。


資料提供 A Requinta de Xian:


ガリシアのレキンタ職人ロイ・キアンさんのインタビュー記事を公開しています!
 
ステッカーで学ぶケルトの笛
  • 友だち追加