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店長の少し偏ったケルト話

古代ケルトに関する小ネタ集「古代ケルト人の“ふるさと”」

こちらはそんなに新しくない説ですが「ケルト人の故郷は、オーストリアのハッシュタルトなり」という説があります。
なんとなくおいしそうな名前ですが、こちらは現在も観光地として人気で、世界遺産にも登録されているめちゃくちゃきれいな湖畔の町です。

出典 pixabay

さて、こちらに人が定住し始めたのは、紀元前800年ごろだと言われています。で、その定住した人たちが古代ケルトのみなさんです。(ロシア南部あたりからやって来たと伝えられています)

この地域には岩塩坑というのがあり、そこで採掘した塩をヨーロッパ中に輸出することで、一大貿易都市になっていきました。そして、そこで稼いだお金を「製鉄」分野にたくさん投入し、製鉄技術を大いに引き上げました。これらの技術は鍬(くわ)などの農業に生かされ、農業の発展に貢献しましたが、のちに鎧や剣などの戦闘にも生かされることになるわけです。

そんなわけで町として大成功を収め、そして長く発展を続けたため、後世にたくさんの歴史的な遺跡・遺物を残してくれました。とりわけ、貿易で超発展したあとの埋葬文化はとても豪勢で、お墓の中に「故人が来世でいい感じに暮らせるような」さまざまな日用品・装飾品・武器を一緒に入れる、王族チックな感じのものになっていました。

こうした装飾品などは、あとの世代に発掘され、貴重な美術品として世界中を旅することになりました。もしも、博物館や美術館で「紀元前800〜400年あたり」の「ハッシュタルト」の飾り物があったら、きっとそれは、かなりケルトに関係が深いものなので、このコラムの話を思い出してみてください。

ちなみに、もしもハッシュタルトがこのまま平和だったら、今語られている古代ケルトの歴史はもっともっとシンプルで覚えやすいものになっていたはずです。
でも、紀元前450年ごろから敵に攻められたせいで、ケルトの皆さんは散り散りになってしまいます。そうして散った先々で、自前の製鉄技術を活かして武器をこしらえ、戦って日銭を稼ぎましょうか、という流れになったのだと言われています。

そういうわけで「ケルト人の故郷は、オーストリアのハッシュタルトなり」と言われている、ということです。

 
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