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Tricolor「Tricolor BigBand」

このアルバムの企画を聞いたとき、いささか驚きました。このバンドの音楽は普段着の、あるいは家での毎日の食事に通じるところがあって、何か凄いことをやってやろうという気負いも衒いも無い一方で、良い素材を揃え、念入りに手をかけて仕立てたり、料理したりして、質の高いものを生み出すのが本質だし、そこが魅力だと思っています。わが国のケルト系ではこれまでで最大の人数を揃えたビッグバンドというのは、それとはいわば対極にある、豪華なドレスで着飾った宴会に思えたのでした。

けれども、これはやはり筆者の勘違いだ、と今になってわかります。確かにこのアルバムのジャケットや、PV、あるいはレコ発ライヴのステージなどでは、手の込んだデザインと衣裳も見られます。けれども、それは宮廷での饗宴というよりはハウス・パーティー、とりすました社交の場ではなく、気心の知れた仲間たちのアトホームな集まりなのでした。

改めて振り返ってみれば、前作《うたう日々》ではゲスト・シンガーを4人迎えて、その世界を大きく膨らませていました。ビッグバンドへの布石はあそこですでに打たれていたのでしょう。

このアルバムのプロジェクト自体、1年以上前から始まっていたといいます。ここに参加しているメンバーは、全員が集まったのは今回が初めてではあるものの、いろいろな形、組合せで、tricolor のメンバーが音楽をともにしてきた人たちです。中には録音当日におたがい初めて顔を合わせた人たちもいたそうですが、個々には tricolor と深くつながっていました。また、最終的な形におちつくまでに、人数を変えて、いろいろライヴで試してもきたそうです。様々な条件、スケジュールやアレンジやの多くの条件から、アルバムを録音した時点でおちつくところにおちついた、というのが、ここに登場しているメンバーというわけ。

こうして出来上がったこの録音は、人数、編成、そして音楽において、類例の無いものになりました。ゲストやサポートなどでトータルではこれを超える人数がクレジットされている録音はあります。けれども13人が一斉に音を出しているのは初めてです。アイリッシュで使われる楽器は一通り揃っていますが、わが国ではバンジョーが加わるのはまことに珍しい。それにニッケルハルパがこういうところに加わるのは、海外でもありません。多人数バンドによる音楽ということでは、たとえばケイリ・バンドもあるわけですが、これはダンスの伴奏ではありません。

多人数でやりたいという欲求は音楽の土台に仕込まれているベクトルなのかもしれません。すべての音楽がそうだというのではないでしょうが、少なくともアイリッシュに代表されるケルト系の音楽はどれも基本的に備えていると思われます。スコットランドには Unusual Suspects やその前にパイプ・バンドがありますし、ブルターニュには Bagad Kemper を筆頭とするバガドがあります。これらは数十人から、時には100人近い大所帯になります。おそらくは、この類の音楽をやっていると、大勢でやりたくなるのでしょう。

多人数でやるメリットは単に音量が大きくなるだけではありません。それとともに中身の詰まったヴォリューム感が出るようになります。アンプによる増幅でも音は大きくなりますが、塊としての実体がやってくる感覚は不可能でしょう。合成音をいくら重ねてもやはりムリ。肉体を持ったミュージシャンが多数いて、一斉に楽器を鳴らすことでしか実現できない感覚です。クラシックの管弦楽は、時代が下るとともに規模が大きくなっています。それにジャズのビッグバンドやスティールドラムのビッグバンドも、そうした量感を得るのが第一の目的です。

そして、それはリスナーにとって以上に、ミュージシャンたち自身が愉しいものなのでしょう。アルバムレコ発ライヴのステージでは、ミュージシャンたち自身が実に愉しそうで、顔には自然な笑顔が浮かんでいました。実際、メンバーの中村大史さんは2曲やったところで、「2曲で満足しちゃいました」と言ったものです。大勢の仲間と一緒に音を出す、音楽を演奏する。アイリッシュ・ミュージックのセッションはその欲求が最も原初的かつ洗練された形で現れたものでもあります。

みんなで一斉にユニゾンで演奏する愉しさは格別ではありましょうが、愉しいのはそれだけではない。というのが、このアルバムの一つの柱です。アレンジを念入りに施し、各々に光が当たり、おたがいに支え、また支えられる役割を交替してゆくのもまた愉しからずや。多人数でやることのもう一つのメリットがここにあります。複雑で変化に富んだアレンジが可能になります。全員でユニゾンもできれば、全員が各々異なるメロディを奏でることもできます。

ですから、これは本来は生のライヴで初めて実感をもって体験できるものであります。録音では、物理的な制約があって、本来の音のヴォリューム感、膨らみ、量感を感じるのは、不可能ではないにしても、ハードルはかなり高いものがあります。

とはいえ、こうしたバンドが常時活動していて、全国津々浦々をツアーしてまわっているという理想世界には、我々は残念ながら住んではいません。そこで、目一杯想像力をたくましくして、その不足を補いながら、この録音を聴くことになります。

そうして耳を傾けてみれば、今度はライヴでは気がつかない細部が聞えてきます。ユニゾンでの音の重なり方。リピートでの編成の違い。パーカッションの細かい芸。曲のつながり、ビートの転換での呼吸。ギター・カッティングとダブル・ベースとパーカッションの役割分担。

そして楽曲の良さ。スコットランド産の楽曲が多いだけでなく、中村さんの作曲になる[10]にもスコットランドの響きが聞き取れるのは、興味深いところですし、スコットランドも大好きな筆者としては、素直に嬉しい。レコ発ライヴではオープナーとして演奏されて、体を浮かせてくれた[09]はその代表。[05]も佳曲で、これは当然ながら、アイルランドでは生まれないでしょう。ここでのピアノの響きはアルバム全体のハイライトの一つです。

冒頭、長尾さんの〈Across The Border〉は、ジブラルタル海峡を初めて渡る直前、彼方のアフリカとイスラーム圏に想いを馳せて作った由。そう聞くと、テンポが上がる後半に燕たちの飛びかう様が浮かんできます。

さらに、ここには歌があります。tricolor が音楽を担当した、南島原市の観光PR用ショートムービー『夢』の挿入歌〈夢の続き〉と、同じテーマを角度を変えてうたった〈うたかた〉。後者では歌そのものも然ることながら、ユニゾンで奏でられる間奏での、アイリッシュでは普通使われない音階にぞくぞくします。

観光PR用とはいえ、『夢』は独自のストーリーを持った、1篇の映画として見て面白い作品です。実際、観光PR用短篇映画の国際コンクールでグランプリを受賞してもいます。〈夢の続き〉はその中で印象的な使われ方をしていますが、この曲自体、大ヒットしてもおかしくない名曲でしょう。ぜひ、『夢』を見て、この歌にこめられたストーリーと想いを確認してください。その上で聴くと、また新たな切実さをもって響いてくるはずです。

とはいうものの、最大のハイライトはやはりラストを締めくくる[11]。Shannon Heaton のペンになる〈Anniversary〉は、シャロン・シャノンがかの〈Mouth of the Tobique〉メドレーの1曲めにやっているのが印象的な、心浮き立つ曲。だんだんと楽器が増えていって、フル・バンドになったところで、もう一度トリオにもどって始めるその次が曲者。これはさらにその次のリールのテーマになっている〈パッフェルベルのカノン〉をジグに仕立てたもの。初めてこのメドレーを録音したとき、中藤さんの希望で、長尾・中村両氏がアレンジしています。これがはさまるために、次のリールの爆発がより大きくなります。もう一度、楽器がだんだん増えてゆき、「原曲」のマーティン・ヘイズのヴァージョンよりも、より華やかに、祝祭の感覚が膨らんでゆきます。これを聴くたびに、ステージ一杯のミュージシャンたち、いや客席でも楽器を持った人たちが大勢いて、会場全体が湧きたっている光景が浮かんできます。まさにビッグバンドの醍醐味ここにあり。ああ、このまま、終らずに、いつまでもいつまでもこの演奏が続いていってくれないものか。

これは時代を画するアルバムです。現在の、わが国におけるアイリッシュ、ケルト系音楽演奏の隆盛は、ほぼ10年前に始まっていますが、10年を経て、こういう音楽が生まれるところまで来たのです。これだけ多数の、また多彩な楽器のミュージシャンたちが、セッションではなく、しっかりと細部まで組み立てられた形で、1個の有機体として、この種の音楽を演奏したのは、初めてのことです。ジャズの優れたビッグバンドと同様、隅々までアレンジされていながら、自由に伸び伸びと演奏されています。

もう一つ、おそらくより大事なことには、ここには強力なリーダーがいません。アレンジも、参加しているミュージシャンに任せたり、全員で相談したり、あるいはキャッチボールをしながら進めたそうです。最終的なまとめは tricolor の3人がやっているにしても、そうしたコントロールは表には出ていません。クラシックのオーケストラは言わずもがな、世のビッグバンドはいずれも誰かがカリスマ的な「指揮者」となって全員を引っぱる形です。わが国を代表するビッグバンドである渋さ知らズもはにわオールスターズも、あるいはパノラマ・スティール・オーケストラも、渦の中心は明瞭に存在します。ここにはそういう存在がありません。参加している全員で作りあげている。大きな一つの渦よりは、たくさんの渦が踊っているけしきです。あるいはアイリッシュ・ミュージックに備わる基本的性格のなせる技かもしれませんが、これも画期的なことです。

最前衛を突っ走る人たちではなく、一見、どちらかといえば保守的にも見える「普段着」バンドの tricolor からこういう音楽が生まれたのを見れば、真にラディカルな試みは、「常識はずれ」なところよりも、毎日の暮しの質を深めてゆくところから発するとも言えましょう。
 
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