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ケルトの笛 インタビュー

Sweetheart Flutes 創業者 ラルフ・スウィート(Ralph Sweet)

※このインタビューは、ホームページChiff and Fippleより、著作権保有者のDale Wiselyの許可を得て翻訳、公開しています。インタビュー年は不明ですが、90年代末だと思われます。
英語翻訳:村上亮子
 

インタビュアーDale Wisely デール・ワイズリーのまえがき

私が最初にホイッスル(クラークのオリジナルD管)を買ったのは、アラバマ州、ホームウッドのボブ・テッドローの店でした。
その後もちょくちょくこの店に顔を出して、おしゃべりしたり、ボブがコンサティーナの説明をするのを聞いたりしています。
おかげで、そのコンサティーナが欲しくてたまらなくなりましたよ。
ボブの店に行くたびに、この魅力的なファイフにくぎ付けになったものです。
後になって、それが有名なCloosのファイフのレプリカだという事がわかったのですが、これにはハートのマークが彫ってあったのです。
ちょうどそのころ、私はChiff & Fippleのホームページを始めようとしていて、それがラルフ・スウィートの笛だと知ったのは、まもなくの事でした。
そのファイフを買い、それは私の最初の横笛のひとつになりました。
(今では他にも横笛を増やしています)
最近、ラルフ・スウィートが木製のホイッスルをプレゼントしてくれて、おかげで、私の笛のコレクションがさらに充実したものになりました。
それは見た目もいいし、音もいいし、さらに、香りもいいのです。

私は、ラルフにインタビューしたいと思い、つい最近、やっと、オーストラリア、シドニーの高級ホテルのラウンジで、インタビューが実現しました。
いやいや、失礼。
実は、そのころ、オーストラリアにいて、このインタビューはインターネットとメールで行ったのです。

ふつう、Chiff & Fipple の辛口インタビューは、まず、相手が書いてくれる自己紹介で始まります。
こうするとインタビューの取っ掛かりが見つけやすいのです。
しかし、ラルフの場合は、彼の書いてくれたものがとても面白いので、ラルフ自身の言葉でここに紹介したいと思います。

ところで、ラルフはこれをメールしてくれましたが、ラルフ自身の言葉によると、「この人類の文明に不可欠な情報が誰かに横取りされる事がないように」なのだそうです。
やりますねえ。

ラルフ・スウィートのメールより

1946年、コネチカットの南東部で、高校最後の年、私は趣味を2つ始めましたが、それは今も続いています。
スクウェア・ダンスとファイフです。
両方とも、ケルト音楽を愛することとフルートを作ることに結びついています。
家の車を運転できるようになるとすぐ、近所のスクウェア・ダンスに参加するようになり、後に、コントラ・ダンスを習いました。
イングランド、スコットランド、アイルランドの曲や、同じスタイルのアメリカの曲に合わせて踊るのです。
2年の内に、私は、どちらのダンスでも、教えたり、コールしたり出来るようになりました。
時にはピアノで伴奏したりもしました。

同じ年、1946年ですが、私はまた、「昔風の」ファイフとドラムの軍楽隊風のバンドに参加しました。
伝統的な植民地時代、南北戦争時代の軍服姿でその時代の(またもやケルト起源の)音楽を演奏するグループです。
最初はドラムでしたが、ファイフを習うようになり、やがてファイフを教えるようになりました。
私の子供は5人とも、ドラムかファイフ、または両方をやっています。

大学時代には州兵に参加して、徴兵を避けようとしましたが、私の部隊が召集されてしまったのです!
私はジョージア州、テキサス州や他の州への任務を、出来るときにはスクウェアダンスをしたり、そうでない時はダンスやコールを書いたりするのに利用しました。
私の防空隊がマサチューセッツ州ボストンを北朝鮮の空爆から守っていたときは、アイルランドのケイリー・ダンスや、イングランドのカントリー・ダンス、スコットランドや他のフォークダンスや、スクウェアダンスや、コントラダンスを練習する時間がたっぷりありました。
たっぷりのケルト音楽です!

コネチカットに戻って、私は航空工学の技術訓練を活用し、大きな古い納屋を買い取り、スクウェアダンスのホールに改造しました。
技師としての申し分のない仕事をやめて、自分のダンスホールでダンスのコールをして生計を立てるという生活を楽しみ始めたのです。

2年後、妻と4人の子供を養うために、もっといい仕事を探す必要にかられました。
それで、科学の教師になるコースを取り、早期引退するまで29年間、その仕事に従事したのです。

1973年頃、他にも何人かの関心を持ったダンサーと共に、間近に迫った独立200年祭(1976)を祝うために植民地時代のコスチュームで踊るダンスグループを作りました。
そして再び今風のダンスから伝統的なスクウェア・ダンスやコントラ・ダンスに関心が戻ってきたのです。
私の息子はすばらしいファイフ吹きでした。
私はアコーディオンで彼の伴奏ができるように練習し、メロディーを奏でながら、同時にコールをかけられるようにしました。

当時使っていたファイフと自分たちが演奏する曲との間には、いくらか調整が必要なこともわかりました。
軍楽隊のファイフはBbなのに、ほとんどの曲はフィドルで演奏しやすい(そして、Bb管のファイフでは演奏しづらい)調であるD、G、Aなのです。
私は少々手を入れて、プラスチックの管材からD調のファイフを作りました。
2つ目を作った後、アラブ諸国が石油の供給をストップしてしまいました。
プラスチックは石油製なので、私は材料を木に変えることにしました。

それで、「少々難あり」 のトゥールクラフト(メーカー名)の旋盤とボール盤(金属板に穴を開ける機械)とベルト式研磨機を買って、木を加工してみました。
これがかなりうまくいったので、フィドルが弾ける人を探し、娘のボーイフレンドにピアノのコードが弾けるように教え、こうして “ファイファーズ・デライト・バンド(「ファイフ吹きの喜び」の意味)” が生まれたのです。
私たちは何年間かコントラダンスのパーティーで演奏しました。

ニューイングランド・フォーク・フェスティバルで、私たちのバンドが演奏しました。
息子のウォルトはあらゆる場所のジャム・セッションで演奏しました。
人々は口々に、「息子さんが吹いている変わった楽器は何ですか?1つ売ってくれませんか?」と言いました。
1974年のことです。
私は本気で楽器を作ることを考え、こうして、スウィートハート・フルート・カンパニーが誕生したのです。

このころには、私の最初の妻は、「こんなバカバカしいことには、もうウンザリ」と思っていたのでしょう。
やがて、私はコントラ・ダンスが好きなフルート吹きの女性と出会い、彼女は会社のパートナーとなって、私の5人目の子供の母親になりました。
彼女からクラシック・フルートとバロック時代の知識を得て、共に古いフルートを研究しました。
 

こうして、様々な調子やスタイルの、ファイフやフルート、後にはホイッスルを作る仕事が始まったのです。
数年の間は(金属板を)丸めて接合したタイプのティン・ホイッスルを大量に作っていました。
が、木製ホイッスルに割く時間を増やすために、この部門はホイッスル製作に自信があると自称する人に売ってしまいました。

私が最初のころ作っていたフルートやホイッスルは、完璧から程遠いとわかっていましたので、「どのホイッスルも、1つ前のより少しでもいい物にする」というモットーに従ってやってきました。
1回作るごとに、ということですよ。
私たちはいつでも仕事の質を上げようとしているのです。
私たちの楽器は今、35ドルの一体型ルネッサンス・ファイフから、1295ドルの美しい6キー付フルートまで様々に増えました。
仕事の大半はメールで行ない、相手の多くは、民族楽器専門の楽器店です。

工房には、フルタイムの工場長ジェリー・ブリエールと、3人のパートタイム従業員がいます。
妻のキャロル・グリーンフィールドは、経理担当で、私たちはウェブサイトを立ち上げようとしているのですが、最近は、注文に追いつくのが精一杯です。

*注 スクウェアダンスで次の隊形や踊り方を指示する事。
コーラー(コールする人)の力量でダンスの満足度が変わるとさえといわれる。
こちらの動画では、ラルフは現在も、コールを現役でしている様子を見ることができる。

ラルフ・スウィートさん。
面白い話ですねえ。
音楽に捧げた人生の物語ですね。

そうですね。
よかったことは、音楽で生計を立てようとしなかった事です。
私はひとつのことに長く集中できない性質でね。
1つの楽器に長く関わって、十分上達することはなかったのです。
スクウェアダンスとコントラダンスのコールぐらいでしょうね、上達したのは。

あなたの経歴についてはよくわかりましたので、ホイッスルのことを話しましょう。
面白いことを知ったのですが、あなたがお作りになった金属ホイッスルが、たくさん出回っているそうですね。
知りませんでした。
いつごろ、こういったものを作っていたのですか? 笛の調子は何がありますか?

私の金属のホイッスルは、クラークD管の正確なコピーのようなものです。
あのころ、クラークはC管を作ること以外に関心はありませんでした。
1977年から85年のことだと思います。
シンプルな錫メッキをした鋼製でした。
缶詰の缶の材料ですよ。
今ではクーパーマン・ファイフ&ドラム・カンパニーで量産されていて、(たとえばヴァージニアのウィリアムズバーグのような)全国の小売店で売られていますよ。

それは先が細くなっていて、円筒形ではないのですね。
今ちょうどこの話題になっているのですが、(ホイッスルが円筒形か円錐形かという)あの昔からの議論で、あなたの結論はどうなのでしょう?

そうです。
先が細くなっています、クラークと同じようにね。
これは2オクターブ目のピッチを高め、音程を正しくする事ができます。
今では、金属のホイッスルのように管本体が薄い場合は、こうすることは必要ないと思っています。
しかし、リコーダーのような、厚い木のボディーでは、必要な事だと思います。
管がテーパーのついた先細のデザインになっていなければ、管の厚みが厚いほど、2オクターブ目の音は低くなるということがわかっているからです。

あなたのホイッスルにはリコーダーの影響が見て取れます。
木を使うことに加えて、これは最も特徴的なことだと思います。
よく旅行されていますが、多くの楽器製作者の工房を訪ねているのですか?

そうです。
最初は、ウィンドウェイをイギリス製の安っぽい竹製のホイッスルのようにしていました。
初期のPatrick O’Riordan(オリオーダン、ティン・ホイッスル職人)のホイッスルのようにです。
でも、安定性に欠けることがわかりました。
で、1981年に私と妻と1歳の娘はドイツへ行きました。
(私の息子はそこに住んでいました)
それからオランダのモーレンハウエル&メック製作所、コルスマ製作所、イギリスのドルメッチ製作所へ行きました。
そこで、ウィンドウェイの作り方に関して多くのアイディアをもらいました。
アメリカでは、マサチューセッツ州ブルックリンのフォン・ヒューネ工房(アメリカで―世界でといってもいいくらいだが―最も敬意を払われているリコーダー製作者)、ニューハンプシャー州ハノーヴァーのプレスコット工房、それから、クリス・アベルがマサチューセッツ州コンコルドにいるときには、工房へも行きました。
皆さん、とても好意的で、どんな質問にも答えてくれて、私が見たいものは全部見せてくれました。
クリスは「フルート作りに秘密なんてありませんよ!」とさえ言ってくれました。

ホイッスルを作るにあたって特に好ましい木はあるのですか?
アフリカン・ブラックウッド(African Blackwood)のホイッスルをずっと作っているそうですが。

好きな木ですか?北米の硬材の中では、カエデです。
なぜか、サクラを好む人が多いようですが、きれいですが、ウィンドウェイを削るとき、カエデほど丈夫ではないので、欠けやすいのです。
ダメですね。
もちろん、カエデは多孔質です。
他のアメリカの木はさらに良くない。
しかし、希釈した桐油に2回浸すことで、この問題は解決します。
メックはパラフィン油で同じことをしました。
紫檀(Rosewood)の中では、ボリビア紫檀(Morado)か ホンジュラス紫檀でどちらがいいか迷っています。
ホンジュラスのほうが硬いのですが、 ボリビアのほうが扱いやすいのです。
どちらも絶滅危惧種ではありませんよ。
ホンジュラスのは、ほとんどアフリカン・ブラックウッドと同じくらい硬いのです。
アフリカン・ブラックウッドは、確かに、ファイフ、フルートを作るのに、私の一番好きな木です。
ホイッスルでもそうなるでしょう。
最近は、これで作ることに慣れてきました。

John Killourhy氏について教えてください。

10年ほど前のことですが、ジョンは(どうして私の名前を知ったかわかりませんが)1930年代にロンドンで買ったホイッスルを私のところに送ってきました。
彼はその吹き心地が好きだったのですが、車のドアで管をつぶしてしまったらしいのです。
私はつぶれたところを交換してみて、その音色に驚きました。
私はあらゆるところの寸法を測って、ジョンに送り返しました。
(そのホイッスルは先の細くなったテーパーのかかった胴体で、ヘッドは何か合成物質、たぶんベークライトでした)喜んでくれましたよ。
後にもう一回修理に送られてきて、また送り返しました。
最後には、送ってきてもらって、そのまま私が持っています。
そのホイッスルは2オクターブ目が30セント高いのですが、非常に、いい音で、また、低い音が驚くほど力強いのです。
どうしても、これと同じものを作らねばなりませんでした!!実際、そのころはずっとそのホイッスルの複製にかかりっきりでしたが、うまくいきませんでした。
もちろん、2オクターブ目が高くなる点は改善したいと思いました。
それで、テーパーの加減をゆるくしましたが、新しいサンプルを作るたびに、何か気に入らない点があって、それで今は円筒形のものしか作っていません。
でも、諦めたわけではありませんよ!
Killourhy氏には会ったことはありませんが、何年間も連絡は取り合っていますし、私の知っているフルート吹きやホイッスル吹きが何人もアイルランドへ行って、彼に会っています。
私もいつかはそうしたいものです。

本物のフラジョレットを集めているそうですね。
この楽器について説
明してくれますか?

これはホイッスルのデザインが進化してきた中で生まれたもので、1700年代後半に人気があり、1920年代ごろまで作られていたと思います。
見たらすぐわかりますよ。
ホイッスルのようなボディーで、キーのないものから6キー付きのものまであり、中空の空気室のようなものがボディーの上についていて、骨か象牙でできたバグパイプのステムのような「くちばし」というかマウスピースがついているのです。
空気室というアイディアは、スポンジを入れる、というものでしょう。
結露を除いて、音色が耳障りにならないようになります。
今、ここに2つあります。
4つキーがあるのと、6つのです。
(買ってくれる人いますか?)
私が今までに見たのは全てE♭です。
そして音がとても弱いので、あまりぱっとしません。
キーについて言うと、私が作っているアフリカン・ブラックウッドのホイッスルにそっくりな、キー付きフラジョレットを2つ持っています。
一つは4キーで、もう1つは6キーで、本物のホイッスルのような音がします。
1930年代のもので、少なくとも1つはドイツで作られたと思います。
とても気に入っています。
これが私のキーつきホイッスルというアイディアの元になったのです。

あなたのお仕事のどのくらいが、ホイッスルに関わるものですか?他の楽器に比べてどうでしょう?

ホイッスルの割合ですか?
ホイッスルが一番売れているのは間違いないことです。
それにこんな小さな楽器なのに、考えられないほどの様々な作業が必要なのです。
1998年にはおよそ総計で1300の楽器を作りました。
そのうちの約490がD管ホイッスルで、たぶん100がC管ホイッスルです。

ロー・ホイッスルを作ろうと思ったことはありますか。

ロー・ホイッスルですか。
もちろん、何度もありますとも。
(※2014年現在、スウィートハート社ではロー・ホイッスルも製品ラインナップに載っています。)
私のは、Firth Pondファース・ポンドが作った8キーのフルートからインスピレーションを得ています。
(1840年代頃の)普通のフルートのボディーとリコーダー型のヘッドと、トップの横から突き出しているバグパイプのステム状のマウスピースがあるのです。
だから、吹くとき、普通のフルートを吹いているように見えます。
それが正しく演奏されているのはまだ見たことがありません。
リコーダーのヘッドを私のフルートのボディーにつけることを試して見ましたが、それをさらに工夫する時間がないのです。
毎日毎日、今の仕事で手一杯です。
でも、テーパー型の先の細くなったホイッスル、木製の他の調子のホイッスル(Bb、A、Gなど)の事はずっと考えていますよ。
そしていずれは、ロー・ホイッスルです。

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