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ケルトの笛 インタビュー

ビル・オックス(Bill Ochs)

※ このインタビューは、ホームページChiff and Fippleより、著作権保有者のDale Wiselyの許可を得て翻訳、公開しています。英語翻訳:村上亮子

ビル・オックスは、NPR(注1)のオールシングズコンシダード(All Things Considered:すべてを考慮して」の意味)(注2)で「ティン・ホイッスル復興の中心人物」と呼ばれている。
彼は25年以上も、ホイッスルの演奏や教育に携わり、歴史や曲目の研究も行ってきた。

ビルは「クラーク・ティン・ホイッスル教本」(今や19版で、20万部売れている)の著者で、アイルランドの伝説的ティン・ホイッスル奏者マイコー・ラッセル(Micho Russell)の『アイルランドのティン・ホイッスル大使』(Ireland Whistling Ambassador)のプロデューサーでもある。

これはNAIRD(注3)のインディー・アワードの「年間最優秀ケルト音楽アルバム」("Best Celtic Album of the Year")にノミネートされたものだ。
またカホル・マッコーネル(Cathal McConnell)の最新のソロアルバム「Long Expectant Comes at Last」を、エド・ハーバーと共同制作もしている。

ビルはまたアイリッシュ・イリアンパイプスも演奏するが、それはアンディー・コンロイ(Andy Conroy)や、パット・ミッチェル(Pat Mitchell)や、トム・スタンデバン(Tom Standeven)のようなアイルランドやアメリカの名人に学んだものだ。

1976年には、全国芸術基金(注4)の奨学金を得て、アイルランドでイリアンパイプスを学んでいる。

ビルのイリアンパイプスの演奏は、ブロードウェイ制作のホセ・キンテロの"A Touch of the Poet" や、ピロボラス・ダンス・カンパニー(注5)のブロードウェイデビュー作や、ボブ・ラファルソンの映画、"Mountains of the Moon"のサウンドトラックや、ジェイコブ・ピロー・ダンス・フェスティバル(注6)におけるエイコ&コマによる”Windの初演などで、聞くことが出来る。

彼は、ザ・グリーン・フィールズ・オブ・アメリカ(The Green Fields of America) (注7)の初期のメンバーとしてイリアンパイプスを演奏している。
このバンドの他のメンバーとしては、リズ・キャロル(Liz Carroll)、ジャック&チャーリー・コーエン(Jack and Charlie Coen)、マイケル・フラットレイ(Michael Flatley)、ショーン・マックグリン(Sean McGlynn)、ミック・モロニー(Mick Moloney)がいる。

アイルランド音楽について、「ニューヨーク・マガジン」や、「シングアウト」や、「パイパーズ・レビュー」などに寄稿したことがあり、現在はマイコー・ラッセルの音楽について本を執筆している。
ニューヨークシティに住んでいて、アイリッシュ・アート・センターで教えている。

ビル・オックスは長年Chiff & Fipple(ティン・ホイッスルのファン・サイト)のメンバーで、私とも連絡を欠かさない。
彼の情報は非常に価値がある。
このインタビューは、ホイッスルの演奏や制作をこなす足治療医でもあるポール・バスマン博士によるものである。

デール・ワイズリー


注1: National Public Radio。非営利ラジオ局のために番組を制作配給するアメリカの組織
注2: 同ラジオ局のニュース番組
注3: the National Association of Independent Record Distributors。インディーズ代理店協会
注4: the National Endowment for the Arts。(米)芸術活動を財政的に支援するための連邦政府機関
注5: Pilobolus Dance Company 。アメリカのモダンダンスの劇団。1971年~
注6: the Jacob’s Pillow Dance。マサチューセッツ、ベケットにある、ダンスセンター、学校、劇場。それが主催するサマーフェスティバルは世界的に有名。
注7: 1978年フィラデルフィアで結成された、アイリッシュバンド。

左枠:インタビュアー(ポール・バスマン博士) 右枠:ビル・オックス

経歴をお聞かせください。それと、アイルランドの伝統音楽に興味を持つようになったのは、どうしてでしょうか。

私はアイルランド人ではありませんが、子供の頃からアイルランド音楽を聞いていて、大好きでした。
10代になって、クランシー・ブラザーズ&トミー・メイケム(Clancy Brothers & Tommy Makem)というアイリッシュ・バラードのバンドのアルバムを買いました。
彼らの音楽に夢中になって、特にメイケムのティン・ホイッスルに惹かれました。
1962年頃のことです。
それが長い旅路の始まりで、結局伝統音楽のど真ん中にたどり着いたのです。

ホイッスルはどうやって学んだのですか。

1962年にメイケムを聞いたとき、すぐに吹きたいと思いました。
でも、ホイッスルが見つからない。
ニュージャージー郊外の楽器店の店主は、ホイッスルのことなど、聞いたこともなかったのです。(その当時アメリカでは、ホイッスルはどこででも手に入るわけではなかったのです)
それから7年たって、コネチカット州ニューヘイブンの友達のところに泊まった時、その友達がアイルランドから持ち帰ったクラークのCホイッスルを持っていました。
彼は自分で吹く気はなく、それを私にくれました。
どれほどうれしかったか!

1969年当時、ホイッスルの本などはありませんでした。
それで、耳で聞いて独学しました。
レコードで聞いた曲を練習したのです。
やがて、ニューヨークにアイルランド伝統音楽のコミュニティーがあることを知りました。
1971年、それに参加するためにブロンクスに引っ越しました。
フィドルのブレンダン・マルヴィヒル(Brendan Mulvihill)と友達になりました。
彼はホイッスルも上手で、色々私の面倒を見てくれて、ロール(装飾音)のやり方などを教えてくれました。
その年アイルランドで出版されたすばらしいテキストとテープもありました。
ミホール・オ・ホウルーン(Micheal O’Halmhain)の『ティン・ホイッスル教本』”Tutor for the Feadog Stain”(Comhaltas Ceoltoiri Eireann出版)で、とても役にたちました。

初めてアイルランドへ行ったのは1972年のことで、多くのホイッスルの名人に会いました。
その中には、メアリー・バーギン Mary Berginや、ウィリー・クランシー Willie Clancyや、トム・マクヘイル Tom McHaileや、ドナハ・オブライエン Donnacha O’Brienがいました。

翌年、カホル・マコーネル と友達になりました。
ボーイズ・オブ・ザ・ロッホ ”Boys of the Lough"というグループのホイッスルとフルートの奏者です。

その頃には、フィラデルフィアのトム・スタンデバンの個人指導で、イリアンパイプスも学んでいました。
多くのテクニックがパイプからホイッスルに導入されています。
1976年、全国芸術基金の奨学金で、半年ほどアイルランドで暮らして、ゴールウェイのパット・ミッチェルからイリアンパイプスを学びました。
習い始めた頃に、多くの指導や感化を受けることが出来て、幸運でした。

おそらく他の誰よりも多くの方にホイッスルを教えておられますね。
私も、クラークのティン・ホイッスルの教本/テープのセットを、どれだけ他の人にプレゼントしたかわからないほどです。
このプロジェクトはどうやって実現したのですか。

信じてくれるかどうかわかりませんが、1970年代初め、私はニューヨークの路上で、ホイッスルを吹いて、ホイッスルや竹のフルートを売って生計を立てていたのです。
クラークのホイッスルが一番売れていました。
音も形も、それからたった1ドルということも、人気の理由でした。
それに、クラークは世界で一番古くからあるティン・ホイッスルでした。
ちょっと調べてみたのですが、クラーク社は1843年頃、イングランドで設立されています。
もし指導書とテープのセットがついたら、この素敵な古い楽器はもっと人気が出るだろうと思いました。
基本的な吹き方だけではなく、歴史や伝統やこの笛にまつわる伝承を、生き生きと伝える指導書があれば、ということです。

このことでクラーク社と接触したのは、1980年代の初めでした。
クラークはその当時、顧客対応に苦労していて、この計画には消極的でした。
しかし1986年、クラーク社は売却され、新しいオーナーは私の計画に乗り気で、これを進めるようにと言ってくれました。

 

この頃には、路上の商売からは足を洗い、ニューヨークのアイリッシュ・アート・センターとブロンクスの聖フィリップス・ネリ校でティン・ホイッスルを教えて13年たっていました。
教室で教えた経験は、教える技術を磨き、一歩一歩進める教授法を生み出す助けとなっていました。
これは、あらゆる段階の生徒に有効な方法です。
1988年に腰を落ち着けて、実際にクラークの教本を書き、テープを録音をし始めた時、私はすでに何年間も教授経験を積んでいたのです。

クラークの教本は1988年8月に完成しました。
出来立てのホイッスル/教本/テープのセットをボストン美術館のクリスマスカタログに載せるのに、ぎりぎりの時間しかありませんでした。
その時から、12版を数えています。
今は2つのバージョンがあります。
元々あった6インチ×9インチのポケット版と、9インチ×12インチのデラックス版です。
テープはやがてCDになりました。
この3点セットでも、あるいは各1点だけでも、私のウェブサイトから入手することが出来ます。

このセットは、最初はCのホイッスルで、録音もC調でしたね。
今は、D調もあるのですか。

そうです。
この企画を始めたころ、クラークはD管ホイッスルはもう50年も作っていなかったのです。
クラークはC調しかありませんでしたから、私の最初の録音もC調でした。
(楽譜は最初からD調でした。早い話、ホイッスルは移調楽器ですから。)

1989年後半、クラークは新しくD管ホイッスルを作り、私も1991年にはD管ホイッスルで録音しました。
D調で録音したものが発売されて、教本の販路は拡大されました。
クラーク以外のホイッスルを吹く人が、このセットを一般的な教習法として使い始めたのです。
本とCDはどのD管ホイッスルでも同じように使えるようになりましたから。

アイルランドの曲に加えて、スコットランドやイングランドや、初期のアメリカの曲を含んでいますね。
そういう風に色々な曲を混ぜているのは、どうしてですか?

アイルランド音楽が専門ですが、他のタイプの音楽も大好きです。
何年もの間、音楽関係の友達には、スコティッシュ・バグパイプ・バンドの人や、ケープブレトンのフィドルの人や、モリス・ダンス(イングランドのフォークダンス)の人、アパラチア音楽(アメリカ、カントリーミュージックの源流)の人、ニューイングランドのコントラダンス(アメリカのフォークダンス)の人、ファイフとドラムの軍楽隊の人などがいました。
本を作る時、これらのレパートリーすべてを入れました。
基本線は、ホイッスルで吹いて、合っているということです。
色々偏りなく入れいます。ただ、上級の曲の多くはアイリッシュです。
ホイッスルはアイルランドでよく使われて、芸術の域に達したという事実を反映しているのです。

クラークの教本を作って以来、音楽関係ではどんなことをやってきましたか。

一番新しいのでは、"Long Expectant Comes at Last"というカホル・マッコーネルのアルバム制作で、友達のエド・ハーバーとの共同制作です。
ほとんどの曲はカホルの歌かフルートです。
ホイッスルはあまり使っていませんが、ホイッスルを使ったものは、カホルの特徴をよく表していて、素晴しくて、楽しくて、多少ひょうきんなところもあります。

そのほかには、マイコー・ラッセル(1915-1994)の音楽を記録することに多くの時間を費やしています。
マイコーはクレア州ドゥーリンの有名なホイッスル奏者です。
1993年にマイコーのビデオを作り、1995年にはCDを発売しました。
両方ともタイトルは"Ireland's Whistling Ambassador”で、ダニエル・ウィンターと私が企画した、1990年代初めの3回のアメリカツアーから生まれています。
今はマイコーとその音楽について、本を出そうとしています。

マイコー・ラッセル関係の仕事は、もう、ずいぶん長い間していますね。
マイコーとその音楽に、深い関心を寄せるのはどうしてですか?

初めてマイコーのホイッスルを聞いたのは、1974年にアイルランドを旅行した時で、それから、1976年にも聞き、彼の演奏にすっかり心を奪われてしまいました。
マイコーはアイルランド音楽の原型と言える人で、安い量産品の笛を手にして、それで、独自のユニークな音色を見出した人です。
私は彼のファンになって何年もの間、見つけられる限りのマイコーの録音を集めました。

しかし、1990年の最初のソロアメリカツアーでのマイコーの演奏は、私にとって、予測すらつかないものでした。
それは魔法以外の何物でもなかったのです。
マイコーの演奏は喜びと生気にあふれていますが、それは、舞台ではなかなか見られないものです。
どこへ行っても、マイコーは人々を魅了しました。

人々が反応するのはマイコーの音楽だけではありません。
人々はマイコーの存在そのものに、心を打たれるのです。
マイコーは、今ではアイルランドの生活からほとんど姿を消してしまった「田舎の人々(country folk)」と呼ばれる世代に属していました。
彼の身振り、訛り、話し方は、人々を過去へいざなうのです。
一度ならず、観客の中には、マイコーの姿を見て泣く人がいたものです。
何年も前にアイルランドを離れた自分達の祖父母、曽祖父母とマイコーの間に深いつながりを感じるのでしょう。

つまり、マイコー・ラッセルは、単にひとりの音楽家というだけではなく、ひとつの現象なのです。
アメリカツアーでマイコーと直接かかわりを持って、私はこの現象の何層にもわたる歴史を記録に残そうと思いました。

マイコーの本はどういった形になるのですか。

まず第一に、楽譜です。
マイコーの音楽は、演奏して楽しいものです。
また、彼は非常に重要なレパートリーの源泉です。
マイコーの曲をカバーした人のリストはまるで「アイルランド音楽の名士録」のようなものです。
私は今までに100を超える曲を詳細に書き留めてきて、それはさらに増えると思います。
その楽譜は、すべてのタンギングや、スラー、ストップ(訳者注:音楽を一時的に止めること?)や、マイコーの演奏を特徴づけるあらゆる装飾を含んでいます。

この本にはまた、広範囲の文書や、写真やインタビューも含まれます。
マイコーの音楽の文化的背景を記録することが重要なのです。
マイコーの演奏を聴いて、首をかしげる人もいます。
なぜなら、現代のアイルランド伝統音楽という文脈で見てしまうからです。
しかし、もし何世代かさかのぼって、マイコーの演奏と、マイコーと同時代の北クレアの住民の演奏を比べたら、また、その1世代前の人と比べたら、どうでしょうか。
この問いかけはいくつかの面白い疑問を引き起こし、私は本の中で、それに答えたいと思います。

最後に、この本はマイコーの精神を賛美することになります。
彼は何千人もの心を、暖かさと謙虚さと音楽で動かした男なのです。
マイコーの物語を彼自身の言葉を通して、また、友人や家族や近所の人の言葉を通して、語りたいと思います。

出版の日取りは決まっていますか?

まだです。
しかし10年以上にわたる資料の採集を経て、ようやく、資料の選択の段階に来ました。
これは、手すきの時間を使う、楽しい仕事です。2、3年でやり終えたいと思います。
その間、もしマイコーに関心のある人がいれば、”Ireland’s Whistling Ambassador”のCDとビデオがあります。
CDには28ページの冊子がついていて、マイコーとその音楽の紹介になっています。
私のウェブサイトには、マイコーのCDのサンプル音源(楽譜つき)があります。

ティン・ホイッスルを教えることについて、少しお話ください。
初心者から熟練者まで、すべてのレベルの人を対象にしているのですか。
様々な土地でのワークショップで教えているのですか。
それともニューヨークだけですか?

ニューヨーク以外の土地でも、たまにワークショップをすることはありますが、主に教えているのはマンハッタンで、タイムズスクウェアから10分のところです。
あらゆるレベルを教えます。
「きらきら星」からティン・ホイッスルの名人の曲までです。
だいたい6人ほどのグループレッスンです。

教授法はどういったものですか。
クラークの教本に従っているのですか?

レッスンでの教え方は、クラークの教本に入れることが出来たものよりはずっと拡大されていますが、考え方は同じです。
一度に情報を与え過ぎて、生徒を戸惑わせたりしません。
ゆっくりとした速度で、簡単なことから複雑なことへ、一歩ずつ進めて行くのです。
最終の目的は、それぞれの生徒が音楽的に自立できる状態に達することです。
つまり、どんな素材からでも、どんな曲でも学ぶことが出来るということです。

最初、楽譜の読み方の基本を教えますが、耳のトレーニングにも時間をかけます。
曲を少しずつ出して、一度に1フレーズずつ区切ると、耳で聞いて吹いたことのない人でも、比較的容易に出来るようになります。
装飾は、何期か簡単な曲をやった後で教えます―その中にはアイルランドの様々なダンスのリズムを紹介することも含まれています。
装飾を深く学ぶ前に、しっかりしたリズムのセンスとフレーズ感を身につけることが重要なのです。

自分で学ぼうとしている人に、何かアドバイスはありますか。

自分で気持ちよく吹ける以上に速く吹こうとしてはいけません。
ティン・ホイッスルを吹く時は、気持ちがいいという感覚を養ってください。
スピードは、時間がたてば、徐々に、自然に身についてきます。
無理に速くしようとすれば、音楽の喜びには結びつきませんし、リズム感やフレーズ感を損ないます。
曲を美しく聞かせるためには、そんなに速く吹く必要はないのです。

ご自分ではどのくらいのテンポがお好きですか?

ゆっくり吹くのが好きです。
スピードについては、マイコー・ラッセルや昔の演奏者の影響を、特に強く受けています。
マイコーはほとんどのリールを、1分およそ100拍で吹いています。
数拍の差はありますが。
他の昔の演奏者は90拍くらいです。
ジグは20%くらい速いですが、決して急ぎすぎたりしません。
このテンポだと、奏者はメロディーを味わい、その音楽の味をしっかりと引き出す時間がたっぷりあるのです。

私はまたリルティング(lilting、口三味線のこと)を使います。
意味のない言葉で曲を歌う昔のアイルランドの練習法です(リズム、フレージング、テンポの指導のために)。
よいリルティングは生き生きとして、一方、肩の力を抜くことができます。
言葉は容易に自然に舌から転がり出てくるのです。
それと同じ感覚を演奏でも作り出したいのです。

他にはどんな楽器を演奏しますか?

ホイッスルのほかには、イリアンパイプスとアイリッシュ・フルートを演奏し、教えています。
イリアンパイプスはこの30年間、ずっとやってきました。
フルートはそんなに吹いていません。
理由は、何年もの間、私のフルートは50ドルの「質流れ品」だったからでしょう。
たいした楽器じゃなかったのです。
でも1998年に、パトリック・オーウェルのすばらしいアフリカン・ブラックウッドのフルートを買いました。
オーウェルのおかげで、ここ数年は今までよりもずっと多くフルートを吹いています。

最近はどんなホイッスルを吹いていますか。

何年もかけて集めた古いクラークとジェネレーションのコレクションがあります。
最初に私を感激させた録音の多くは、このような楽器で行われたのです。
この音が、今も私を感動させるのです。
オークのD管ホイッスルを吹くのも好きですし、最近はウォルトンのCホイッスルもレッスンで使っています。
教えている場所の1つはとてもいい音響効果のある部屋で、ウォルトンのCはその場所でのグループ演奏にピッタリです。
みんなで一緒に吹くと、優しい、フルートに似た音がするのです。

高級なホイッスルについてはどうですか?

いくつか持っています。
もうちょっと音量がほしい時に使います。
セッションで大きな音の楽器と一緒になる時とかですね。
でも家で吹くには、私が「伝統的」と呼ぶ音色の、静かな楽器が好きです。
歯切れがよく、反応がよく、甘く、少しchiff(かすれ)というか、ひっかかりがあるような音です。  
 
多くの高級なホイッスルの製作者は、とても澄んだ音を求めているようですが、この音色にするためには、失うものもあります。
もし、かすれを完全に除いてしまったら、とても退屈な音の楽器になってしまいます。
音は、澄んでいるかもしれませんが、同時に生気がなくなります。
装飾は弾けるような勢いや煌きを失い、タンギングによるアーティキュレーションは反応がのろくなり、すばやく伝わりません。

私にとって理想的な高級ホイッスルは、安価なホイッスルの中でも最上のものの音質をすべて忠実に再現し、かつ、安定性とか、永続性、チューニングなどの分野を改善したものです。
まだ、高級ホイッスルの中にほしいものは見つかっていませんが、全部を試してみたわけではありません。
もし、私のほしいものが今なかったとしても、そのうちに誰かがきっと作り出すでしょう。
いつだって新しい発展があるのです。

でも今のところ、なじみの古いホイッスルで満足ですし、一日が終わって、大事なのは音楽をするということなのです。

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