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ケルトの笛 インタビュー

トーマス・マクエルヴォーグ(Thomas McElvogue)

※ この記事は、トム・マクエルヴォーグさんの許可を得てご自身のホームページの記事を翻訳、公開しています。英語翻訳:村上亮子

簡単な履歴―2017年9月
1968年にイングランドのニューカッスル・アポン・タインで生まれました。だから40ってとこかな?姉が3人います。母方の祖父はコネマラ(ゴールウェイ州)のフォグラス出身でした。そんなこともあって、母は私たち4人の子供をアイルランド文化に触れさせようとしました。姉は3人ともアイリッシュ・ダンスのレッスンを受けていて、そのせいで私は幼い頃にアイリッシュ・ダンスのレコードを何回も何回も繰り返し聞きました。有難いことにかなり良いレコードが何枚かありました。自分もコンテストで踊ってみましたが、演奏する方が好みにあっていました。またアイリッシュ・ダンスを踊るよりアイリッシュ音楽をする方がいいと言ってもいいのだと気が付きました。

8歳か9歳の頃ティン・ホイッスルを吹き始め、またかなり早い時期にフィドルにも手を出しましたが、フィドルは難し過ぎたのでホイッスルに決めました。教えてくれたのはパトリック・ナイトというニューカッスルの音楽界のとても親切で度量の大きな方です。
12歳か13歳の時に木製フルートに移り、徐々に腕を上げていきました。様々なレベルのコンテストで賞を取り、ついにはオールアイルランド成人フルートの部で優勝しました。

23歳までは演奏を続け、その後4年間全く演奏から離れました。26か27の時にアイルランドに移住し、演奏を再開しました。それ以来アイルランドのダブリンに住み、仕事であちこち動き回りましたが、その間も演奏は続けるようにしました。

フルートの演奏で主に影響を受けたのはマット・モロイ Matt Molloy、シーマス・タンゼイ Seamus Tansey、トミー・ピープルズ Tommy Peoples、フランキー・ギャビン Frankie Gavin、ショーン・マクグァイア Sean McGuire、キャサリーン・コリンズ Kathleen Collins、パディー・キーナン Paddy Keenanなどの方々です。

姉のシーナも同じころ音楽をやっていました。彼女はその頃(今もですが)とても繊細な鍵盤アコーディオンを演奏していて、そのおかげで、私はフルート以外の楽器でのフレージングをよりよく理解できるようになったのです。他のフルート奏者も同じだと思いますが、私も初期の頃からマット・モロイの息遣いと装飾を分析し、彼のコントロールと感性には畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。同時にシーマス・タンゼイの演奏の奔放な豊かさから、書かれた音符の後ろにあるものを見るようになり、音楽をよりよく解釈し、感じるにはどうすればいいかを学びました。

コンクールを目指すようになってから間もなく気が付いたのですが、他の多くの奏者は個人のスタイルをほとんど1音1音コピーしていて、来る日も来る日も「The Boy’s of the Lough」のモロイのバリエーションをそのまま演奏しているように思われました。このような優れたスタイルをコピーすることはテクニックの勉強に役に立つのですが、自分では(少なくとも人前では)やりたいとは思いませんでした。また私は練習で優れたフルート奏者をコピーしてみたことがありますが、決して同じようにはできないと悟りました。
同じころ、フルートの先生のパット・ナイトがトミー・ピープルズのレコード、「The Iron Man」を紹介してくれました。この時期になると、レッスンではフルートを吹くことを学ぶのではなくて、学び方を学んでいました。(この言い方でわかってもらえますか?)。
私たちは音楽の様々なアプローチやスタイルについて話し合い、パトリックは色々なレコードを紹介してくれて、手に入れるように言いました(または貸してくれました)。そしてどういう点を聞くのかを示して、私の悪い癖を直して、わかるかい?と言ったものでした。その頃私は1日に最低3~4時間は練習していました。学ぶことがたくさんあるので、辛いことではありませんでした。

パトリック・ナイトと別れてから、ニューカッスルで一番頼りになり、影響を受けたのはジョン・ドゥーナン John Doonan(ジャロー出身の素晴らしいピッコロ奏者)、クリス・ジョーダン Chris Jordan(メイヨー州、ボーラ出身で大人になってからはニューカッスルに住んでいるインスピレーションにあふれたフィドル奏者)、マイケル・モリアーティ Michael Moriarty(ケリーの珠玉のフルート奏者)、メアリー・ラーキン Mary Larkin(スライゴ―出身でニューカッスル在住のすぐれたアコーディオン奏者)などです。
10代の頃はクリスやミックやメアリーと様々なステージでセッションをし、とりわけメアリー・ラーケンはスライゴーのレコードや曲 ― 特にジョシー・マクダモット Josie McDermott、ボビー・ガーデナー Bobby Gardiner、マルカス&JPハーノン Marcus & PJ Hernon、シーマス・タンゼイ Seamus Tansey― を私に紹介してくれました。
もう1人私に大きな影響を与えたのはテニー・コルコラン Teny Corcoranで、私がニューカッスルにいた時期を通じてアイルランド音楽家協会に深くかかわっていた人でした。トニーは自分がやっているケイリーバンドの演奏に連れていってくれて、ジョン・ドゥナン John Doonanやミック・モリアーティ Mick Moriartyが演奏できない時には、代わりに入れてくれました。テニー・コルコランもミック・モリアーティも地域の芸術祭で演奏していて、私も演奏するようになりました。ありがたいことに昔の話です。ダンサーのために12時間ぶっ通しで演奏することは、今となってはあまり気が進まないけれど、後で考えてみると、その経験は訓練と根気とタイミングのセンスをつけてくれました。

キャサリン・ティッケル Kathryn Tickellも私を支え励ましてくれました。キャサリンは私が作曲したものを初めて商業的にレコーディングしてくれた音楽家です。キャサリンはプロのミュージシャンとしていかに成功するかという実例としてニューカッスルでは突出した存在でした。彼女のプロ意識、音楽の才能、マナー、そしてノーサンブリアの民族音楽への深く根差した熱意と活動をいつも尊敬していました。

キャサリンの他にカレン・ツイード Karen Tweedも私の作曲への熱意を後押ししてくれました。カレンは審査員のシャボン・オドネル Siobhan O’Donnellを通して音楽家協会のネットワークで知り合いました。10代後半の何年間か、カレンはそれまでになかった程の多くの聴衆に、私の作曲したものを届けてくれました。ロンドンのミュージシャンはカレンを通して、少なくともカレントとのセッションを通して、私の曲の多くを知りました。この点で私はカレンにとても感謝しているし、カレンが私の音楽の発展に与えた影響を過小に見ることはできません。

10代後半にはニューカッスルの音楽シーンにもう一人のミュージシャンが現れ、私にとっては演奏したり飲んだりする仲間になりました。リーズのポール・ルネ Paul Ruaneです。ポールは1つ年上で、音楽に掛ける情熱と腕前は誰にもひけを取りませんでした。2,3年の間ポールと私は多くの時間を共に過ごしました。残念なことにポールは2016年に短い闘病の末に癌で他界し、タインサイドやもっと離れた地域にも喪失感が広がりました。
またダラム州セッジフィールドのフルートの眠れる巨人ノーマン・ホルムズ Norman Holmesにも出会いました。何人かの若いミュージシャンもその足跡を残し始めていました。例えば才能にあふれたマルチ・プレイヤーのクレア・マン Claire Mann、バウロンとブズーキを演奏する才気あるパディー・カー Paddy Kerrなどです。あの時代のニューカッスルには素晴らしい音楽と楽しい語らいの時間がありました。仕方のないことですが、若者の多くが身を固めたり引っ越したりして静かな時間がもどり、私たちが去った後は新しい世代が埋めていきました。

デス・ハーレー Des Hurleyはこの時代の大きな刺激の源であり、また今日も独特でスタイリッシュな演奏スタイルで知られています。デスは私をイギリス中の血気盛んな多くのミュージシャンと引き合わせてくれました。自分と同じようにこの音楽に夢中になっている人がいると知るのも嬉しいことでした。何名か挙げてみると、その中にはジョー、エンダ&ロナン・モロイ Jo、Enda & Ronan Molloy、ケビン・クロフォード Kevin Crawford、イヴァン・マイラティチ Ivan Miletitch、ブレダン・ボイル Brendan Boyle、マルコ・ポリアー Marco Pollier、マーク・エバンズ Mark Evans、ミック&ポリン・クニリー Mick & Pauline Conneelyなどがいました。
本当に素晴らしい時代で、あの頃のバーミンガムのセッションは何物にも代えられないものでした。セッションは大概イヴァン・マイラティチがお膳立てをしてくれて、彼は比類のない伴奏者でした。この時代に終わりが来たのは残念なことです。光陰矢の如しで、いつかは終わりが来るものなのです。いい時代でした。 

修業時代に持っていたフルートは、ルーダルやプラテンのコピーでした。17歳になって職を得て、銀行でお金を借りて、素晴らしいフルートを買いました。初期のクリス・ウィルクスのフルキー付きDフルートです。これで人生は完成したと思いました。フルキーであるだけではなくて、キーが金メッキだったのです。その方が演奏性がいいと考えたのだと思います。この時からフルートの演奏と学びが再開しました。最低音のDだけではなく、その下にもいくつか音があることを知りました。私の演奏スタイルはウィルクスのDフルートを手にしてから変わりました。このフルートは手放して、クレア・マン Claire Mannに売りました。(彼女の音楽をご存知の方もいらっしゃるでしょう。ご存知なければ調べてみてください。)
同じ頃にFのプラテンをノーマン・ホームズの持っていたDのウィルドのフルートと交換しました。このフルートは2000年にダブリンのマックニール楽器店で素晴らしいフルートを見つけた時まで使いました。今までに見たことも吹いたこともないようなボックスウッドのルーダル&ローズでした。

今はホームズ・マクノートンのコンサートDフルートを吹いています。それはこのボックスウッドのルーダルのコピーです。(ピンクアイボリー製であることを除いて。http://www.holmesmcnaughton.com/)ホームズ₌マクノートンのフルートはより安定していて、気まぐれな所がありません。他のメーカーのも色々試してみましたが、私にとって重要なのはキーの操作性と音のクオリティーでした。ホームズ・マクノートンは銀のキーを使っていて、それがキーを使う半音を吹く時、安定した演奏を可能にします。これらの笛は比較的新しいものですが、音色のクオリティーと演奏の安定性には感嘆します。この2つの特性はルーダルにはなかったもので、ホームズ・マクノートンにはあります。このフルートはまた反応がよく、それは今までは本当に良いルーダルかウィルクスにしか無かったもので、今ではホームズ・マクノートンから得られるものです。これらの要素をー緒にして、ノーマン・ホームズとビル・マクノートンは本当に素晴らしいフルートを作っていて、すでに多くのフルート奏者から高い称賛を得ています。

またコリガンのFプラテンの完成型も吹いています。これは新しい楽器で、まだ短期間しか吹いていませんが、吹いていて楽しい楽器です。

様々な機会に、どのフルートが好きかとか、どのメーカーがいいかと聞かれることがあります。私は古いオリジナルのフルートも、現代の多くのフルート製作者が作った笛も吹いてきました。比べるのは嫌ですが、自分も同意できる唯一の考えは、フルート奏者はそれぞれ違うということです。ある製作者が作るある型のフルートはある演奏スタイルには他のフルートより適しているということはあります。私の演奏にあっていると引き付けられるフルートは、ルーダル、プラテン、ウィルクス、そしてホームズ・マクノートンです。
古い楽器の不安定さ、数が少ないことや値段にイライラが高じてきた初期の頃から、私はウィルクスに注目してきました。その頃以来、クリス・ウィルクスやホームズ・マクノートンの新しいフルートに決めてきました。どちらのメーカーも素晴らしいフルートを作っていて、その安定性、丈夫さ、技術、職人魂に称賛を惜しみません。
もう一度言いますが、これは私の経験に基づいた個人的意見であり、他の人はたくさんある他のメーカーのフルートに満足していると思いますし、私もそれを尊重します。

最後にもう1つ。フルートがフルート奏者を作ることはありませんし、今までもそんなことはありませんでした。もしそれが言えるなら、マット・モロイのフルートを手に入れればいいということになってしまいます。フルートは、それがどんなに良いフルートであっても(あるいは悪いフルートであっても)、その楽器から最善の音を引き出す腕を持ったフルート奏者が必要なのです。
私は長い間、このフルートはあれよりも良いものかどうかと気にしすぎて、気持ちが落ち着きませんでした。本当に大切なことは製作者を決めたらそこで頑張りぬくことです。もちろん、多くの製作者を試してみます。が、フルート製作者を選ぶのにこだわりすぎることはしません。フルートの音程があっている限り、後は演奏者が楽器に秘められた力を引き出すだけなのです。どれほど演奏するかによって、半年から数年もかかります。
1つ私が気付いた大切なことは、フルートは今日ではそれほど当たり外れはありませんが、演奏者の方は今でも当たり外れが大きいということです。自戒を込めてそう思います。