今晩で、Chiff & Fipple のニュースレターの読者は1770人になりました。
自称スポークスマンとして、質問に答えてくださったことにお礼申し上げます。
また、アイリッシュ音楽への貢献にも感謝いたします。
新しいCD、とても楽しんでいます。
どうしてニューヨークでレコーディングすることにしたのですか?
新しいCDを作ることになって、それにはビル・オックス(ニューヨーク在住、カホルのCDのプロデューサー)が最適だと思ったのです。
このレコーディングのミュージシャンの顔ぶれは自慢でしょう。
ちょっと名をあげただけでも、アイリーン・アイヴァース、ジョーニー・マッデン、それからあのリチャード・トンプソン。こういう方々とレコーディングするって、どんな感じですか?
素晴らしい経験で、とてもやりがいのあることでした。
初めてホイッスルを手にしたのはいつのことですか?
また、ホイッスルの前に、何か他の楽器をやっていましたか?
1952年のことです。
ホイッスルは私にとって最初の楽器でした。
独学したのはどの程度ですか。
教えてもらったのは?
最初、父のサンディー・マッコーネルとファーマナ州Rossdoneyでご近所だったP.フラナガンから習って覚えました。
私たちはホイッスルという楽器の歴史に興味があるのです。
ずっと長いこと、クラークとジェネレーションだけが手に入る楽器だったと思うのですが。
最初にクラークを手に入れました。
それから、ジェネレーションを買いましたが、こちらのほうが気に入っています。
今は、何を吹いていますか?
ジェネレーションのD管と、E♭です。
音楽家としての経歴に話を戻しますが、フルートを始めたのはいつですか?
1958年にファーマナ州テンポのジョー・シャノンから中古のフルートを買いました。
ひびが入っていました。
時には違う楽器も演奏するのですか?
いや、やりません。
もちろん歌うのは好きです。
前書きでも書かせてもらいましたが、あなたの教本CDはとても役に立ちました。
教えるのがお好きだという印象を受けますが。
教えるということをどう感じておられるのか、また、今も教えることがあるのか教えてください。
教えるのが好きですし、ずっと、あちらこちらで教えてきました。
コンテストの審査員もしましたが、教えるほうがずっと好きです。
この夏は、スウェーデンのファールン民族音楽祭で教えます。
80年代中ごろから何度も声がかかっていたのです。
多くの同世代のアイリッシュ・ミュージシャンもそうですが、あなたも伝統音楽を伝統的なスタイルで演奏し続けてきましたね。
伝統音楽への関心が今ほど広くいきわたっていない時代だったのですが。
伝統的なアイリッシュ音楽は死に絶えるかもしれないと思ったことはありますか?
1950年代、アイリッシュ音楽は衰退していて、ミュージシャンは物笑いの種にされたものです。
でも、アイリッシュがラジオやテレビに取り上げられ、LPやテープになると、一変しました。
昔と今ではずいぶん違っているでしょうね。
今ではアイリッシュのファンは大勢います。
ええ、まったく隔世の感です。
バンドにとっては、メンバーが変わるということは大変なことでしょうね。
今のBoys of the Lough のメンバー構成はどうですか?
とてもいいですよ。
若いミュージシャンと活気にあふれた時間を楽しんでいます。
キーボードのブレンダン・べグリー。
それからマルコム・スティット。彼なんかバンドが結成された時には、まだ生まれてもいなかったのですよ。
いい若者です。
ツアーのご予定は?
アメリカでCD発売のツアーを行いますか?
4月に短いツアーでアメリカに行きます。
今年はヨーロッパの色々なところでBoys of the Lough の活動があります。
アメリカでは新しいエージェントとうまくいき始めています。
ホイッスルのアルバムを作る時間が取れたらいいですね。