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「迷惑なアイルランドツアー」

ヴァイキングがアイルランドで狙いをつけたのは、修道院だった。

裕福なのに、警備が手薄だったのがその要因だね。

前にも書いたように、修道院を中心に栄えていたアイルランドの平和な時代は、海賊兄さんによって強制終了されてしまった。
はじめのうちは、海岸沿いの村々から金銀財宝、家畜、そして女性をさらっていたそうだけれど、そのうち川を伝って内陸にまで攻め入るようになったそうな。

そんなことが200年(!)以上も続いたもんだから、アイリッシュの人たちも修道院スペースに入口無し・窓ありの円塔を建て、ヴァイキングが襲ってきたら、はしごを使って中に入り、はしごを上げてしまい、彼らが去るのを息をひそめて待っていたりしたと言われている。(見つかったら燃やされたんだそう!恐)
そういった建物もまた、今では観光名所になっている。
 

出展 pixabay.com

かなり長期的に略奪を続けていたもんだから、そのうち「急襲をかけて奪って去る!」というヴァイキングのポリシーもどこへやら、いちいち北欧に帰るのが邪魔くさくなって、アイルランド内に野営地を作りはじめた。(盗人ふてぶてしい!)
次第に野営地が要塞に変わり、その周りに町を築くまでに至った。

そんな中で作られた町のひとつが、なんとダブリンだと言われている。
そう、アイルランドの首都はヴァイキングが作った町なんだ!WOW

今でも堂々のたたずまいを見せるダブリン城は、元々ヴァイキングの砦があった場所に建てられたんだそうで、ダブリン市内や周辺の修道院などにヴァイキングの歴史を伝える博物館はたくさんある。

定住を決め込み、優れた航海術を使うことがなくなった頃から、次第にアイリッシュの反乱が有効になってきた。(ヴァイキング、バカだね~)
そして、ヴァイキングの支配を終わらせたと言われているのが、後のアイルランド王ブライアン・ボルーだ。
そんな彼の武勇伝を称えた(かどうかは知らない)「ブライアン・ボルーズ・マーチ」という曲は、今でも人気の伝統音楽のひとつ。

紀元800年~1000年頃のヴァイキングの執拗な嫌がらせを受けたケルトのお話。

 
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