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「適職診断:ギャング?」

出展 pixabay.com

お隣英国は蒸気機関車の発明を皮切りに、「産業革命」の時代に入っていった。
とはいっても、産業が急速に発展した割に利用者があまりピンと来てないもんだから、作るばっかりであんまり売れなかった。
つまり作り手が余り過ぎて、貧しい人たちは「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」の啄木ループに陥ったんだ。(実際の石川啄木は遊び人だったらしいけどね)
ストライキなんてのが流行り出し、ついには暴動も起き始めた。

同じころ前回書いたような大飢饉に襲われていたアイルランドは、貧しさと飢えに耐えかねた人たちの多くがアメリカへと渡って行った。(中には英国やオーストラリアに行く人も)

その頃、アメリカにはあらゆる国の人たちが「一旗揚げてやろう」と移住しており、競争率は激しかった。それに他の裕福な、それに様々な技術を持った連中に比べると、ジャガイモも育たないド田舎から来た、何の技術も持たないアイリッシュは、決して優位に立てる状況ではなかったんだ。
それでも彼らには二つの大きな武器があった。
それは①英語がしゃべれることと、②オコンネル直伝の政治的策略術だ。

この武器によって、ニューヨークやボストン、シカゴなど東海岸(大西洋側、地図でいうと右側)周辺の大都会に一大勢力を作り上げ、行政を裏で操作し(おいおい)新しく移民として入ってくる同胞に仕事を与えていた。
いささか乱暴なアイリッシュが大都会を牛耳っていたってわけだ。

もちろんそんな人たちだけじゃなく、「田舎者は危険な仕事でもしときな」ってまじめに警官や消防士になった人たちもたくさんいたんだよ。

1840年ごろのアイリッシュ・アメリカン第一号量産なケルトのお話。

参考映画:「ギャング・オブ・ニューヨーク」「スチームボーイ」
 
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