ガリア人と呼ばれるのは「ハッシュタルト」から追い出されたケルトグループのうち、ガリアという地域に居着いた人たちの名前です。
ガリアは、今で言うフランス・ベルギー界隈です。ちなみにローマ帝国は、イタリア界隈。そう、つまり各々にちゃんと住む場所があって、最初は平和に暮らしていたわけです。
でも、ローマ帝国はガリア人の住んでるところを自分の陣地にしたかったんです。
それはさておき、その頃(紀元前400年ごろ)ガリア人の人口が増えた影響で、もうちょっと土地がほしいなと、南下して土地を探すガリア人たちが現れました。ガリアの下、つまりフランスの南側はイタリア、つまりローマ帝国に近づいていきます。
そこで、ガリアの人たちが、「ローマの領土ではないけれど、隣接する地域に住みたいけどいい?」という交渉をするのですが、ここでいざこざが起きてしまいます。
そして、ガリア人がローマ側の非礼に怒って、ローマ帝国に踏み込み、結構派手にやっつけてしまいます。(アッリアの戦い)
そうなると怒るのはローマさんです。
まあ、やってやられてを繰り返すことになるんですが、そんなことが、なんと200年も続いたので、ローマの歴史書には「ローマ市民はいつも野蛮なガリア人の急襲に怯えて暮らしていた」というニュアンスで伝えられています。結果的にガリア人は負けちゃうわけですが、実はローマさんには密かな企みがありました。
実際、もしガリア人が高度な文明を持つローマ人から見て、ただの野蛮な民族なら、本気出したら追い返すこととぐらい可能だったんじゃないの? そうしなかったのには、何か理由があるとかんじゃない? そんな、陰謀論っぽい語り口になりましたが、実際ローマさんは、ガリアさんの地域にある「金鉱山」が、とにかく欲しかったんです。(なんとガリアの領土内に400もの金鉱山があったことがわかっています)
「ローマ帝国はぐんぐん領土を拡大しました」と一行で説明できる文章ですが、領土の拡大には膨大な初期投資がかかるでしょう。(そりゃそうだ)
そのためにはどうしても安定してお金を生み出せる金鉱がほしい!でも、無茶苦茶な言いがかりで侵攻したらローマの評判が下がるから、もっともらしい理由がほしかった、というのがローマのボス、ジュリアス・シーザーおじさんの本心だったと最近の歴史家たちは考えています。
中には、「もう侵略とかしません。ローマさんの軍門にくだるのでそちらに移住したいです」といった部族(もちろんガリア内)もいました。そこで、時の皇帝ジュリアスおじさんは「それなら、その人たちを保護する義務があるから、その人たちの場所に出向いてあげよう!」と、その道すがらに出会う反乱部族たちを、文字通り全滅させたりしたそうです。
そんな感じで、あの手この手を使って、ガリアの弱体化を図り、最後の大きめの戦争で勝利を収め、金鉱山ごと総取りできたというわけです。
ちなみに、ローマ帝国が金貨を鋳造しはじめたのは、ガリアを征服したちょっとあとのことなんだそうです。
もしもガリア人の土地に金鉱山がそんなになかったら、そんな憂き目には合わなかったのかもしれないと思わざるを得ない、ちょっと気の毒なお話でした。
出典 pixabay