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さて、「わたし、ドルイドになりたい!」と思った先に待ち受けているのは、並大抵の修行じゃなかった。
墓に埋められたり、海に流されたりといった肉体的な修行(ほぼ嫌がらせ)から、ありとあらゆる知識、それこそ神学から哲学、天文学、数学、医学、法学、地理学、歴史学から、演説力向上の修行まで、それはそれは大変な難関、狭き門だった。
その期間、およそ20年!!
そんな厳しい特訓と勉強をクリアできさえすれば、一般ピープルも特権階級にジャンプアップできるとあって、世のお母さんたちは「うちの子をドルイドに」といつだって期待していたそう。(紀元前のお受験戦争)
まぁでも、特権というのは得ると与えたくなくなるのが人の性ですから、そのうち家柄とか血統とか、スリザリンの純血主義的な考えに支配されて、一般ピープルにチャンスは回って来なくなったそう。
ドルイドになる修行に20年、それだけ覚えることがたくさんあるんだから、さぞたくさんの本を読まないといけなかったんだろうなぁと思われる方もいるかもしれません。 でもなんと、彼らは一冊の本も読まなかったんです!?
それは「ドルイドになる修行」という一種の神聖な儀を、みんなに公開されたら価値が下がっちまうじゃねえか精神で、彼らは大事なことを何も文字にして残さなかったんです!(門外不出性の極み)
なので、全知識の受渡しは「口承」によってのみ、つまり一から百まで相手が覚えるまで説明し続けていたわけ。
この書物に頼らず口で教える感覚は、現代でも伝統音楽に残る文化(目で見るんじゃない、耳で聴くんだ!)だったりするんだから、その民族性たるや恐るべし、ですね。 まだ、紀元前のお話。