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ケルトの笛 インタビュー

マイケル・コープランド(Michael Copeland)

※このインタビューは、ホームページChiff and Fippleより、著作権保有者のDale Wiselyの許可を得て翻訳、公開しています。英語翻訳:村上亮子
2014年現在コープランドはすでに廃業しており、オークションでしか入手することができません。
英語翻訳:村上亮子

もしマイケル・コープランドが世界の垂涎の的となっているホイッスルを作っていなかったとしても、彼は誰にとっても忘れられない一人になっていたでしょう。

コネチカット州に生まれたマイケル・コープランドは、人生を音楽に捧げたのです。
学校ではロック・バンドで演奏し、バークレー音楽院ではジャズピアノを学びました。
バークレー音楽院にいたとき、楽器製作に関心を持ち、バークレーをやめて、マサチューセッツ州グロスターのフィスク・パイプオルガン工房で働き始めました。
そこで管楽器製作の技術と知識を身につけたのは、間違いのないことです。
フィスク工房を離れたあと、ますますケルト音楽に傾倒し、木製ファイフの作り方を学び、何年もの間バグパイプ製作に携わりました。
その後、すばらしいアイリッシュ・フルートを作り始め、名声が広まり、演奏者はコープランドのフルートを賞賛をこめて語るようになりました。
1980年代半ば、マイケルはティン・ホイッスルを研究し、すばらしいホイッスルを作り、そのことで、有名になり、アイリッシュ界で賞賛されました。
マイケルは今、フィラデルフィアの工房でホイッスルを作っています(99年当時)。

※左枠(インタビュアー:デール)右枠 マイケル・コープランド

時間をとっていただいて、ありがとうございます。

こちらこそ。
楽しい時間になりそうですね。
今日、建築屋さんが来て、明日、工事を始めます。
今、12本のロー・ホイッスルの音の調整をしているのですが、引っ越す前に完成したいと思っています。

工房を移すのですか?

以前住んでいたところからここ(アート・ビル)へ引越してきて1年になります。
もっと広い場所が必要になってきたのです。
特にジム・リメンターが一緒になったので、2人同時に働くと、かなり狭いのです。
この部屋はホールのすぐ下で、ずっと広い場所です。
オフィスのために別に部屋が取れると思います ― オフィスを持つのは初めてなんです。
ジムに会ったことは、事業全体に大きな影響がありました。
ホイッスルを見たり聞いたり演奏したりする人が増えて、私は長年フルートを作ってきましたが、ホイッスル製作にも手を出すようになって来ました。
そしてホイッスルの占める割合は、私の仕事の中でますます大きくなってきました。
ジムは営業面で助けてくれ、大きな手助けとなっています。

ホイッスルを作り始めるまでの話をしてください。

高校でロックバンドをやっていました。
オルガンやギターをやって、やがてバークレーへ行って、ジャズをやりました。
でもすぐに気が付いたのですが、本当にやりたかったのはパイプオルガン製作とロックだったのです。
でも、私がいたのはジャズ学部でしたから、バークレーをやめ、フィスク・オルガン工房へ行きました。
そのあと、旅に出て、国中を旅し、色々な仲間と交わり、やがて、フィラデルフィアに落ち着きました。
フィスクをやめてから、木製フルートを作り始めるまで、結構時間がたっていました。
私は基本的にはファイフのようなもの、6穴の木製フルートを作ったのです。
それからバグパイプを作り始めました。
イリアンパイプス、(スコットランドの)ローランドパイプス、ローランドスモールパイプスです。
その間、ケルト音楽のレコードを探しました。
フィラデルフィアのラジオ局で何時も流れていたものです。
The Boys of the Lough や他のグループがツアーしていました。
フィラデルフィアではアイリッシュ音楽がますます活発になってきていました。
木管楽器を作る研究をしていて、バグパイプについてのこの本に出会い、それがバグパイプ作りにつながり、その頃、カホル・マッコーネル(Cathal McConnall) (The Boys in the Lough のホイッスル奏者)を聞くようになったのです。

私も、彼の教本CDをドライブしながら聞いています。
パイプオルガン製作が後にホイッスルの設計にどのように役立ったのでしょうか?

バグパイプを作って、フルートを作って、それから、ペニーホイッスル(ティン・ホイッスル)の研究を始めました。
知りたかったのは、テーパー(円錐)の具合はどのくらいがいいのか、プラグの形はどうか、理想的な管の長さと内径の割合はどうかなどでした。
古いパイプオルガンの音響学の本があったので、それを引っ張り出し、パイプの何本かには窓のどちらかの側に、空気の流れを作る「耳」と言うかフラップがあるという事を思い出しました。
それは楽器の音を調整する役割があります。
私の作っているホイッスルには、そのような突起がなかったので、私はパイプオルガンの経験を思い出して、蜜蝋で小さな突起を作ってウィンドウの三方に取り付けました。
それは馬の目隠しのようなもので、空気が流れてくると、「ここでやらなきゃ、何も出来ないぜ。
そこのエッジにまっすぐ突き当たって、あとは好きにしろだ。
」ってわけで、これがその突起の役目なのです。
これはホイッスルの低い音を強くします。
私はローDを作っていて、先の細くなったローDを作ろうとしていました。
フルート製作の経験から、私は先を細くすればどうなるか、よくわかっていたのです。
それをホイッスルに応用したかったのです。
それでフルートと同じような先細の管を作りました。
ハイD で使ったのと同じ技術を使ったのです。
でも低い音がうまくいきません。
しかし、この突起がこの点をうまく片付けてくれそうでした。

実質的にフルート製作はやめたそうですね。
修理はしているけれど、もう、フルートは作っていないとか?

フルート用の木材はたくさん残っています。
知識もあります。
8キーのフルートまで作ってきました。
フルート製作は、この10年間私の世界だったのです。
そこにホイッスルが入ってきて、やがて、フルート製作を追いやってしまいました。
木材もある、型もある。
そして、やる気もある。
ホイッスルを作ったことで、新しい技術を手にしました。
以前フルートを作っていたときにはなかった技術で、そのうちのいくつかをフルート製作に応用してみたいと思っています。
12本のキーなしフルートを一度に作るとか。
面白いと思います。
新しい工房ができたら、もう一度フルート製作に時間をとりたいですね。

売りますか。

そうですね。
たとえば友人のパトリック・オルウェルとか、実際、一緒に仕事をしようかと話をした事もあるのです。
私の工房にも、何度か来てくれました。

実は今、フルートでなんとか音を出そうと、がんばっているのですが、難しいですね。
特に身近に教えてくれる人がいないので。
1ヶ月前に、パトリック・オルウェルのBbの竹のフルートを買ったのです。

竹のフルートの中では最高ですね。

まだまだ下手なのですが。
でも、ほんの少しずつですが、進歩しています。
我ながら、たいしたものです。

いいD管のアイリッシュ・フルートを手に入れたら、ずっと速く進歩しますよ。

ホイッスルを作り始めた時、クラークのホイッスルを分解したそうですね。

ええ。
自分でも吹いていましたが、当時、納得のいくホイッスルはなかったのです。
ジェネレーションのBbはまだましでしたが、セッション向きの楽器ではありません。
自分ひとりで吹くにはいいかもしれないけれど、みんなと一緒に吹く楽器ではないのです。
工房に古いクラークのC管があったことを思い出し、ある日フルート製作に飽きて、そのクラークCを取って、手持ちの道具や材料を使って楽器の成り立ちから学びました。
エッジを挙げたり下げたりし、ブロックの周りのすき間をロウで埋めたりして、試し吹きしてみました。
フルートのような音色で―きちんと組み立てて吹いて、すっかり気に入ってしまいました。
それで、ホイッスルを作ろうと決めたのです。
私はクラークのよりも厚い真鍮板を1枚持っていました。
クラークのC管のはんだをはがして、平らに伸ばしました。
今でも持っていますよ。
初期の試作品を残しておいてよかったと思います。
旋盤とやすりで、鋼の棒から先細の型を削りだしました。
それから真鍮を焼きなまして、生皮用木槌で心棒に巻きつけ、はんだで留めました。
それをドーナツ型の鉛の輪に通して形を整え、木のプラグを入れ、窓を開け、適切な場所に指穴を開けました。
それは荒削りなものでしたが、息を吹き込んで、音が出てくると、…私は空を飛ぶ心地でした。
この瞬間がたまりません。

木のプラグなのですね?

ええ、紫檀です。
後ろ側でつなぎ合わせて、銀ではんだ付けしたホイッスルをいくつか作りました。
閉じたところはきれいにしましたから、つなぎ目はよく見ないとわかり
ません。
最初のホイッスルには私の名前の刻印はしませんでした。
木のプラグと、ピンが1つあって、チューニング・スライドはついていませんでした。
ウェンディー・モリソンとたぶんティム・ブリトンが、チューニング・スライドをつけるように言ってくれました。
やがて黒いデルリンのプラスティックのプラグに行き着きました。
初期のホイッスルではハンマーを使って、エッジを下げました。
トントントンってね。
きれいに出来ますが、時間がかかり過ぎです。
後にはフライス盤を手に入れて、その機械で一気に切り出し、それから、平やすりで磨きました。
私の名前のスタンプを手に入れ、ホイッスルに刻印しました。

“Philadelphia(フィラデルフィア)” と刻印したのもなかったですか?

ええ、ありました。
それから小さなシャムロックもしばらく使っていました。

さっきあなたは、ティム・ブリトン(Tim Britton、バグパイプ、ホイッスル、フルートの演奏者、パイプ製作者)の名をあげましたね。
実は、ティムはSt.パトリックスデーにここ(アラバマ州バーミンガム)にいたのですよ。
パディー・オブライエン(Paddy O'Brien、アコーディオン奏者でアイリッシュ音楽専門家)とコンサートをしたのです。
すばらしかったですよ。

私がここにすわってあなたと話しているのは、実を言うと、ティムのおかげなのです。
ティムは最初はハイランドパイプをやっていました。
お父さんが伝統音楽のミュージシャンで、彼は音楽一家の出なのです。
ティムとはフィラデルフィア・フォーク・フェスティバルで会いました。
ティムは12歳ぐらいで、パイプの練習用セットを持っていて、仲良くやったものです。
電話でバグパイプのことなどを何時間も話しました。
そのころには私はバグパイプを作り始めていて、ティムに旋盤加工を教えてあげ、ティムは私に演奏の基本を教えてくれました。
すばらしいヤツですよ。
ロックもしますしね。

ホイッスルの話に戻しますが、最初はもっぱらハイDを作っていたのですか?

最初のはC調でした。
クラークのを基にしていましたからね。
すぐにDにするために短いのを作りました。
でも次に作ったのは、確かローDでした。

そうなんですか!

パディー・キーナン(Paddy Keenan、イリアン・パイプス奏者)がオーヴァートンを吹くのを聞いたことがありました。
ロー・ホイッスルを作ろうと思ったとき、オーヴァートン(Overton、現在のColin Goldie whistles)を吹いてみました。
指孔の間隔と音色に不満を言う人がいて、そこを改善するのに自分に出来る事が色々あると思いました。
私は先が細くなった管を作りたかったのです。
先を細くすると、指穴の間隔を狭めることができるとわかっていましたから。
私のロー・ホイッスルの最初の管は基本的にはフルートの管でした。

では、私が考えていたよりもずっと長くローDを作っているのですね。

実験記録を何年も前からつけていまして、記録やデッサンなどですが、ここに2冊あります。
それを見てみますと1992年にローDを始めた事になりますね。
私がホイッスルを生産し始めたのが1990年代の事でした。

どのくらいの数のホイッスルを作ったか覚えていますか?

600くらいでしょう。

ホイッスルというのはどのくらいまで進化するのでしょうね?

予測できる範囲では、私は同じ基本的なデザインを作り続けると思います。
私に変えられることはわずかです。
テーパー型の性質。
音の調整は異なった100もの些細な調整で変わるのです。
この様々な要素を混ぜ合わせて、いつまでもいじりまわして、たぶん、進歩
していくのでしょう。

でも、最近のあなたのなさっている変更は、本当に繊細な変更だと思われるのですが。
数ヤード離れたらわからなくなるような・・・

そうですね。
 1フィート離れても、3インチ離れてでも・・・

どんな調子の笛を作っているのですか?

ハイD、C、Bb、A、それからローGとローDです。
以前はローFも作っていました。
ハイEやE♭も作ったことがあります。
大半はハイDとローDです。
今個人的に一番好きなのはAです。
調度真ん中ですね。

シェーマス・イーガン(Seamus Egan、バンドSolasのティン・ホイッスル奏者)があなたの笛を吹いていることはよく知られていますね。

ステージで自分のフルートとあなたのローDを吹いているのですが、印象的なのは、いつもローDを愛おしそうに吹いていることです。

うれしいです。
最近コンサートで聞かせていただきました。
ビデオを持っていますが、すばらしいですよ。
最近シェーマスと話していて、今度私の工房に来て、他の調子の笛を見てくれるそうです。
楽しいですね。
Chiff & Fipple がインタビューしたがっていると伝えてください。
ところで、ローレンス・ニュージェント(Laurence Nugent、シカゴのティン・ホイッスル奏者)、印象的ですねえ。
彼のレコードを聴いたところです。

ええ、すばらしいですね。
オール・アイルランド・チャンピオンを何年か連続して獲得したんじゃなかったですか?

ええ、そうだったと思います。

彼の家族は色々な賞をとっていますね。

ローレンス・ニュージェントはあなたのホイッスルを吹いているのですか?

ええ、確か、ハイDとCとローGを持っていると思います。

彼の最新のCD “Two for two” のジャケットを見たことがあるかどうか知りませんが・・・(ローレンスが双子を抱いて、そのうちの1人がコープランドのホイッスルをローレンスの口に入れている)

ええ、すばらしいジャケットですね。
あの写真、欲しいです。
ぜひ、ぜひ、手に入れたいものです。
気に入っています。

テレビ・ドラマ「スター・トレック」のホイッスルについて聞いてみなければいけませんね。

ある意味、愉快な事ですね。
でも、同時に”Titanic”のホイッスルみたいなもので、そういうのが何度も何度も現れてくるのにうんざりしています。
スペースシャトルで宇宙を飛んだコープランドのホイッスルがあったということになっています。
その人と話してみるまで、そのホイッスルを見るまで、わからないのです。
一度はウェンディーと、それからもう一度はジムと一緒に、その映像を見ました。
撮影のために房飾りなんかで飾られていましたが、コープランドのホイッスルのようでした。
でも、どうですか…。
そうであって欲しいですね。

レシカン・フルートですね。
レシカン・フルートのウェブサイトがありますよ。
あなたの笛を吹いている「有名な」人はほかに誰かいますか?

そうですね。
まず、ティム・ブリトンとパディー・キーナンですね。
パディーは店に来てローDを選んでくれました。
彼がオーヴァートンに戻ったかどうかはしりませんけど…。
ライアン・オフリンは、確か一度店に来て、D管とA管を買ってくれました。
彼のアルバム”The Given Note”でそのホイッスルで何曲も吹いてくれています。
亡くなったフランキー・ケネディーには、亡くなる6ヶ月前にホイッスルをお渡ししたんですよ。
それから、もちろん、ビル・オックス(Bill Ochs、ニューヨークのティン・ホイッスル奏者)も。
ビルとは、ティム・ブリトンに会った直後に出会いました。
ビルと私は長い間に何回も手紙のやり取りをしました。
L.E.マッカローは私のフルートを吹いてくれています。
ホイッスルは私のではありませんが、フルートは何年も前に私が初めて作ったのを、ずっと吹いてくれています。

今でも吹いていますよ。
(最新情報:L.E. マッカローは1999年4月17日、私に
次のように書いて送ってきています。)

親愛なるデール。
マイケル・コープランドのインタビューはすばらしいですね。
彼こそ伝統的なフルートとホイッスルの製作に革命をもたらした人です。
1つ訂正をお願いします。
これをホイッスル界に広めてくださるとありがたいです。
私は時々コープランドのDホイッスルを吹いています。
実は、その笛は1997年12月に彼の店に行ったとき、マイケル自身から買ったものです。
そして、私は今でもコープランドの最初の2本のフルートの内の1本を持っています。
L.E. マッカロー

3本作ったんですよ。
私が1つ持っていたのですが、動脈瘤で入院していたときに何処かにいってしまいました。
だから私の知る限り、マッカローと私の兄弟が持っている2本だけしかないのです。

あなたが賞賛するホイッスル製作者は誰ですか?

もちろん、クリス・アベルです。
彼の仕事は本当にすばらしいです。
そしてパートナーのジム・リメンターはシント(Sindt) のホイッスルを何本か持っています。
ここに1本ありますが、(マイケルが音階を吹く)いいでしょ?
少し頭部管が重いけれど、機械仕上げがいいですね。
本当に正確です。
もしこのタイプのホイッスルを作ることになったら、こんな風に作りたいですね。

ホイッスルを作るとき、円筒タイプから作り始めたのですね。
興味をそそられますね。

ええ、円筒タイプを作るのに多くの時間を使いました。
最初は、前にも言ったように、平らな真鍮板からホイッスルを作りました。
切り出して、針金テープのリングで9ヶ所ほど留めて、はんだ付けしました。
丁寧にしますから、ほとんど継ぎ目が見えませんよ。
しかしそれから、チューニング・スライドの管材を探していたとき、ある人にあったのですが、(ボルチモアの近郊に住んでいる)ローソン・ブラス(企業名)の人で、彼と息子たちで、フレンチ・ホルンを、ゼロから作っているのです。
で、私は管材を分けてもらうために行ったのですが、彼はマンドレルを使い、継ぎ目のない管を絞りリングと引き抜き用鉄板でマンドレルに押し付けて、その管に段をつける方法を見せてくれました。
それから、用意したワッシャーに通して段差を滑らかにするのです。
それで、円筒管から始めて、結局円錐管になったのです。
ハイDホイッスルでは、頭部菅とボディーは一体の先が細くなった管から作ります。
ローDや他の笛では2つの別々の先細の管です。
チューニング・スライドには円筒型の管材を用意して、ボディーにはんだ付けします。
それからボディーを適切な長さに調整し、指穴の位置を決めて、指穴を開けます。
次にコープランドの名前をヘッドに刻印して、フライス盤を使って頭部管に窓の穴を開けます。
作っているのが平らな真鍮板から作ったロー・ホイッスルなら、銀の仕切りをはんだ付けします。
円筒形のデルリンを旋盤で成型し、頭部管の先に取り付けられるようにします。
デルリンのプラグ、とりわけ、窓の穴は、1インチの1000分の1か2の範囲で、非常に正確でなければなりません。
エッジを抑え、窓は手で適切なサイズにまでやすりで削り、エッジの様々な傾斜角にやすりをかけ、音の調整をします。
音の調整が終わり、できばえに満足したら、プラグを2本の真鍮のピンで留めます。
頭部管の先端は帯のこぎりで切って作ります。
それから最終段階として、研磨機にかけます。
研磨輪を使って磨き、洗って、新しい持ち主のもとへ出荷する準備完了です。

ホイッスルを吹く人は知りたがっていると思うのですが、ニッケルと真鍮とどちらがいいと思いますか?

個人的にはニッケルより真鍮のほうが好きです。
真鍮のほうが何か、しっくりきますね。

ニッケルのホイッスルも、まだ作りますか?

近々、また作りますよ。

ホイッスルはよく吹くのですか?人前で吹いたことは?

セッションとか、音楽の集まりで演奏します。
あと、もちろん、お店でね。

安価なホイッスルの中でお好きなのはありますか?

クラーク、スィートーン、スザートです。

時間が許すなら、まだ作っていなくて、これから作りたい楽器はありますか?

何年も前に抱いていたホイッスル・パイプを作るというアイディアをものにしたいですね。
ふいごで空気を送って、ドローンもチャンターもホイッスルで、リードがない
のです。

コープランドの仕事の事で何かニュースがあるそうですね。

ええ、合併でビジネスを再編しようと思っています。
もちろん、今はジム・リメンターがパートナーです。
かれは熟練した機械工で音楽家です。
彼は工房で楽器製作を手伝ってくれます。
それに彼はビジネスでも優れていますし、コンピューターを使いこなします。
この面での発展に特にワクワクするし喜んでいます。
生産は上がっているし、前にも言ったように、そのために、今、新しいより大きな工房へ移ろうとしています。
ホームページでの仕事もしています。
4月15日以降早々にアップする予定です。

きっと、多くの人が訪問するでしょうね。
カウンターをちゃんとセットして置いてくださいよ。
ありがとうございました。

デール、ありがとうございました。
あなたは、本当に多くのホイッスルのリストとすばらしいウェブサイトを持っているのですね。

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