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ケルト音楽とは

「ケルト」ってなに?

出典 pixabay.com

「ケルト」という言葉を耳にしたことはありますか?
ケルト人、ケルト紋様、ケルト音楽…

ケルトとは一体何でしょうか。

ケルト人とは、青銅器時代の末期にボヘミア周辺に誕生し、古代のヨーロッパを席巻した、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言葉を話す共通の文化や宗教を持った集団です。

ケルトの語源は、古代ギリシア時代にアルプス以北の異言語の部族をまとめてケルトイと呼んだことに由来すると考えられています。

彼らは自然を崇拝する多神教を持ち、輪廻転生や精霊を信じ、文字を持たない代わりに渦巻紋様や組紐文様を駆使した装飾美術を持っていました。 
 
紀元前400年頃のケルト人の分布
やがてケルト人は、東はバルカン半島から西はアイルランドにまで広がり、中でも地中海へ南下したケルト人はローマを脅かす存在になりました。
ローマ人は彼らをガリと呼び、彼らの住む土地をガリアと呼びました。

ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)が記した『ガリア戦記』には、ローマ軍人カエサルによる、紀元前58年から8年間にわたるケルト人との戦いが描かれています。

ケルト人は常に部族単位で活動していたため、国家を形成しませんでした。
そのため戦士としては強靭で優れていたにも関わらず、ローマ軍の組織力の前に衰退し、西へと追いやられました。

彼らはローマ時代にヒベルニアと呼ばれ、不毛の地とされていたブリテン島とアイルランド島に安住の地を求めました。

その後1世紀にブリテン島はローマの侵攻を受けてローマ化し、さらにアングロ・サクソン族にブリテン島を侵攻され、西へ逃れたものはウェールズに、南西に逃れたものはコーンウォールに、海を渡った ものはブルターニュに移住して王国を築きました。

しかし、やがては大国に征服されていきました。
現在のケルト文化圏
ケルト人は様々な民族と接触し交じり合ったため、現在は純粋なケルト人による国家は存在しません。

ケルト語派の言語が残っているアイルランドスコットランドマン島ウェールズ、フランス北部のブルターニュ地方、スペインのガリシア地方がケルトの文化圏とされています。

ケルトは歴史的にほとんど忘れ去られていましたが、19 世紀にオーストリア でハルシュタット遺跡が発見されたことをきっかけに、ヨーロッパにおけるキリスト教的史観とは異なるストーリーとして注目され始めました。

現在、ケルトはその神秘的なイメージから、ロマンチシズム、癒しの対象としても注目されています。