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ケルトの笛 インタビュー

クリス・ノーマン(Chris Norman)

この翻訳は著作権者であるRobert Bigioの許可を得て翻訳・掲載しています。

ケルトの笛屋さん hataoの紹介文:
カナダのアイリッシュ・フルート奏者クリス・ノーマンはhataoが最も影響を受けた音楽家です。古楽と伝統音楽の両方を得意とするクリスの演奏はいわゆる伝統音楽家とは完全に一線を画しており、かつてアイリッシュ・フルートがクラシック音楽の楽器として演奏されていた19世紀のフルートの名手を想像させる名人そのものです。聞き手はカナダのフルート蒐集家で製作者、Robert Bigioです。
 

出典 robertbigio.com

<翻訳ここから>
 
クリス・ノーマン Chris Norman(1963-) の愛想の良い人柄の裏には、才能あふれる音楽家としての素顔が隠されています。彼の演奏だとは気づかずに聴いていたことでしょうが、クリスはオスカーを複数獲得した映画「タイタニック」をはじめ人々の記憶に残る映画のサウンド・トラックに関わりましたし、彼自身のアンサンブルとボルチモア・コンソートでは数十枚もの民族音楽と古楽の作品を製作をしました。民族音楽と古楽を一緒にですって?明らかに庶民の即興的な音楽と、注意深く作曲された高尚な芸術とを?

その解釈はクリスにとっては正しくはありません。彼にとっては、二つの分野の隔たりはごくわずかです。
18世紀のエディンバラでは、たとえば、バイオリニストにとっては、ある夜オラトリオを演奏し、次の夜にダンスパーティーで演奏していることはめずらしくはありませんでした。
「現代の多くの伝統音楽が、私が親しんでいる18世紀の音楽からたくさんの着想を得ていると考えないでいるのは難しい」とクリスは言います。

「音楽を気取って演奏するべきだということではありません。まっすぐさと鮮やかさだけでなく、繊細さをもって演奏されうるのです。ゲオルク・フィリップ・テレマンGeorg Philipp Telemann (1681-1767) の音楽は伝統的な民族音楽、特にジプシーのダンスからの引用に満ちています。フルート奏者としては、テレマンのイ短調の組曲はヨーロッパの民族音楽の旅のように思えます。」

バッハの曲集とパルティータは当時の伝統的なダンスから構成されています。私は彼に尋ねます。たとえば、どのようにバッハの二つ目の管弦楽組曲を演奏したのですか?

「ただ、ボルチモア室内管弦楽団と演奏しただけです。この音楽が発生した由来であるダンスと民族的伝統の感覚を持ち込めると感じています。それはたとえば、アイルランドのリールを演奏するのと同じ奏法で演奏すると言っているのではありません。しかし、それらの作曲者バッハとテレマンは、伝統民族音楽と舞曲形式からインスピレーションを受けていたことに疑問をさしはさむ余地はありません。私は演奏者として、すべてではなくても、ある程度のインスピレーションを作曲者が感じたのと同じ世界(すなわち民族音楽)から得ることはまったく理にかなっていると思うのです。」

クリス・ノーマンはカナダのノヴァスコシア州のハリファクスで生まれ、音楽一家の5人の子供の中でも末っ子です。
彼の家族が何世代も前に移住する前にいたイギリス諸島と、マリタイム州(カナダ東部沿岸部)のフォーク・ソングを歌って育ちました。彼の父親はエンジニアを職業としており、アメリカのメリーランド州で仕事を得たので、クリスは子供時代をそこからノヴァスコシア州へ行ったり来たりして過ごしましたし、今もそれを続けています。彼は、「ノヴァスコシア州を家だと思っている」と言います。

10歳の頃に年上の女の子がフルートを吹いているのを聴いたとき、彼とフルートとの人生が始まりました。
「フルートが大好きでした」と彼は思い出します。「世界の他のすべてが消えるかのように思え、この特別な音を探求するために周りが見えなくなっているような一瞬でした。まだその感覚は残っています。」

彼はレッスンを受け始め (もちろん、すべての子どもたちがそうだったように、現代の金属製のフルートで)、その3~4年後にはフルートと伝統音楽の2つの興味が両立できることがわかりはじめました。ノヴァスコシア州においてフルートは明らかに伝統から外れていました。マリタイムでは、楽器の王様はフィドルでした。ホイッスル奏者の演奏は時折耳にしましたが、フルート奏者なら変わり者だっただろう、と彼は回想します。

クリスは金属製のモダン・フルートで伝統音楽を演奏しはじめましたが、16歳になると木製のフルートを手に入れました。
「ドイツで工業生産された8キーのみずぼらしい楽器でした」と 彼は言います。「しかし、突然それに心を奪われました。それが自分の声のように思え、ますますモダン・フルートが扱いにくく思え、一方でそのシンプルな構造のフルートは、私のしたい音楽や鳴らしたい音に、より適していると思えました。」

彼が8年生(中学2年生)の時、最初のフルートの先生であるネイル・ポッター Neil Potterは、ティム・デイ Tim Dayを紹介しました。ティム・デイはボルチモア交響楽団初の主席フルート奏者で、ピーボディ協会のフルートの先生でした(今ではサンフランシスコ交響楽団初の主席フルート奏者で、国を代表する奏者の一人として認められている)。こうしてティム・デイが彼の先生になりました。

「最初はティムのことを、先生がレッスンを受けるように引き合わせた『よその誰か』だと思いました。もちろん、何年もあとになって彼は『よその誰か』などではないとわかったのですが。彼との初めてのレッスンは決して忘れません。彼の部屋に入ったこと、彼に何か聴いてもらおうとしたことや、彼がフルートを構えたこと。彼の存在感と生み出す音は魔法にかかったようでした。より一層その方向に進んでみようという気にさせられました。同様に助けになったのはティムが多岐にわたる審美眼がありほとんど何にでも興味を持っていることでした。だから、私が古楽と伝統音楽に興味があったことが明らかになった際に、全面的に支援してくれました。」

クリスはインディアナ大学の音楽学科で学籍を得るまでの4年間、ティム・デイについて音楽を学びました。
彼は大学に入学すると、それが興味のあることではなかったとすぐに気付き、1年後には学校をやめました。インディアナ州でのフルートの先生に、伝統音楽に専念する決意を伝えたときのことを覚えています。先生の反応は椅子の背にもたれながら 「クラシックよりもずっと簡単だからという理由だけで伝統音楽をやるんだろう?」と言ったのです。クリスははっきりわかるほど侮辱されていました。
「先生と生徒の関係として、これはうまくいきませんでした。」彼は言います。
「インディアナ州を離れた時が、モダン・フルートとの別れでした。ムラマツの金属製フルートを売ったことを覚えています。私は自分自身のことをフルート奏者と思っていたので、自分のメインのフルートを売ることは苦しくて、途方もないトラウマになりました。しかし、モダン・フルートを売ったことで、私は自分のしたいことに対して専念できるようになりました。」

そのころインディアナ州の大学では古楽講座が始まったのですが、クリスはそれに関わることができませんでした。また、同じ頃に偉大なトーマス・ビンクレー Thomas Binkley (著名なリュート奏者、1931 –1995)がインディアナ大学の古楽器科に赴任した機会を逃がしてしまいました。もし留まっていたら、そして今ではそうするべきだったと思っているのですが、長期にわたり協力関係にあるデイヴィッド・グリーンバーグDavid Greenberg(フィドル奏者)とはもう10年早く出会うことができたでしょう。しかしそうすることなく土地を離れ、自分の学びの旅を追求することにしました。
 

出典 robertbigio.com

大学を辞めた後、クリスは民族音楽の先輩達から学ぶつもりでノヴァスコシア州に戻りました。その中にフルートの奏者はおらず、音楽家といえばフィドル奏者、アコーディオン奏者、歌手でした。
彼はいつもカセットテープを持っていました。
「主に私は彼らの家の玄関前にとどまり、できる限り学びました。彼らはプロの奏者でしたが、日中は仕事をしていました。その当時フルートはまだ極めて珍しく、受け入れられるかが定かですらないので、その伝統の中にフルート奏者として居場所を見つけられるかを試したかったのです。」

スコットランドの音楽の伝統、すなわちクリスがともに育ったマリタイム州の音楽の基礎となったものは、バグパイプとフィドルを伴う歌として始まりましたが、最初に出版されたスコットランド伝統音楽集はフィドルのためではなく、横笛のためのものでした。たとえば、12楽章からなるジェイムズ・オズワルドJames Oswald (1740)『The Caledonian Pocket Companion』です 。18世紀の後半にはフィドルの人気が上がっていて、フルートの人気は下がっていました。
「フィドルはフルートより音が大きいのでダンス音楽により役に立つということが関係があるのかもしれません。」

2年間、自分で計画した学習プログラムで、クリスはバロック音楽を学び続け、毎年オベリン音楽院の夏期講習に通い、定期的にボルチモアの両親に会っていました。
レストランのギグで演奏している時、ボルチモア・コンソートのメンバーと出会いました。
「その時には自分は音楽家として成長していて、コンソートのメンバーは、私の演奏の古楽と伝統音楽が合わさったところに興味を持ちました。彼らはスコットランド音楽の『On the Bank of Helicon』というプロジェクトに取り組んでいて、彼らのフルート奏者ミンデイ・ローゼンフェルドMindy Rosenfeldがグループから産休を取っていることがわかり、私が参加しました。」
クリスは17年間彼らと演奏をし、その後ミンデイが帰ってきました。
「彼女のポストを守っていたのですよ!」とクリスは言います。

多くの伝統音楽演奏家は2オクターブの間でとても大きな音で演奏しますが、クリスはそのようには演奏しません。むしろより繊細にダイナミクスや音色、アーティキュレーションの変化を伴って演奏します。彼がそのような演奏をするようになった理由とは?

「簡単に答えるなら、私がこのように音楽を聴いているからです。この伝統音楽はとても深い泉から湧き出ていて、西洋音楽史の偉大な作曲者達にインスピレーションをもたらしました。きちんと答えるならば、伝統音楽の多くは18世紀から発生し、私が得意とする18世紀の音楽(古楽)から多くの着想を得ているということを見ずにいることは難しいということです。」

彼が大事にしているヨーロピアン・ボックスウッド製のRudall & Roseのフルートは、1980年代半ばに彼のもとにやってきました。
「心から愛しています。これは製造番号742番で、1820年代のごく初期の作品です。新品同様で、本当によくできた楽器です。音程通りに吹きやすく、バターのような音色です。演奏するのがとても楽しいのです。」
このフルートはフルート職人ロッド・キャメロン Rod Cameronによって複製され、多くの他の製作者によって採寸されて、コピー楽器製作の型となりました。クリスは今時々ロッドによる複製品で演奏します。
このRudall & Roseフルートは、多くの伝統音楽家が好む、のちの時代に作られたモデルよりも指孔が小さいのです。
そのことはクリスにどのように影響するのでしょうか?

「演奏していて嬉しいのです。普通の人と同じくらい大きな音で吹くのを楽しんでいます。素直に認めますが、(大きく吹くのは)楽しいのです。しかしそれでは物足りずに微妙な表現力を渇望してしまいますし、大きな指孔のフルートを吹いていると本当に繊細に演奏したいときや鮮やかで品の良い演奏をしたいときには欲求不満を感じます。」
 

出典 robertbigio.com

私はクリスに、モダン・フルートでの革新的な音楽における専門家ロバート・ディック Robert Dickがいうところの「ただいま、ママ、Low Dだよ (アイリッシュはニ長調の曲が多く、家に帰るようにフルートの最低音であるロウDに帰るので)」 と伝統音楽家のことを表現していたのを指摘しました。

「Low Dはまさに流行ですよ。フルート作りの歴史を見て、その時々の流行はとても重要な要素だということに疑問の余地はなく、そして今の流行が、大きく、太く、やかましい音であることに疑いの余地はありません。それが悪いとは言いませんが、それこそが自分自身でフルートを作るのに専念するように導いた理由のひとつだと思っています。手に入れられる楽器のスペクトルの狭さに、奏者として欲求不満を感じています」。 いくつかのことが一体となって、彼はいっそう興味を持つようになりました。彼はいつも美的感覚が高く制作を楽しんでいました。 「私はフルートでやりたいことに対して大変意固地でもあり、多くの優れたフルート職人による数多くのフルートがあれば、どちらかといえば狭いスペクトルにはまりがちだとわかっています。私はそのスペクトルの外へ行きたいのです。」

では、彼にとって理想的なフルートとは?

「繊細で音色の色彩に富んだフルートを作ろうと試みています。初期のRudall & Roseフルートは目指すべきものを体現しています。しかしまた、AやGの大きなフルートの製作を実験することにも興味があります。古い職人たちの楽器の彫刻的な要素を味わっていますし、金属のエングレービングを詳しく研究したいです。」

フルート作りを始めたのにはもう一つの理由があります。
「ロッド・キャメロンとはとても良い友達なんです。彼と私は何年間も一緒に仕事をしました。ロッドは好調ですが、もう若くはありません。彼の作品で達成したものは、記録され、最高の腕前として伝えられるべきだと思います。彼が名人の域に達していること、優れた楽器を作り続け、たぐいまれな美しい作品を生み出しているということに異を唱えるフルート製作者は多くはないでしょう。そこまで到達できる職人は多くはありません。」

クリスが16年にわたって運営しているボックスウッド・フェスティバルののアイデアは、自分で課した修行期間中に浮かびました。
「当時はボックスウッドのようなものがありませんでした」 彼は言います。
「出かけて行って、私に影響を与えた奏者から直接学びました。私の英雄たちをひとつの場所に集めたらどうかと考え、そのようにしてボックスウッド・フェスティバルができました。ボックスウッドは伝統音楽だけに限定せず、民族的伝統やルネサンス音楽とバロック音楽の伝統がある程度までは同じ幹から生じていることを認めています。それらは単独で存在するのではなくて、お互いにインスピレーションを与えあっていますので、それぞれの伝統の奏者は十中八九他の分野についても知っておくのが賢明でしょう。このことは私に大いに役に立ち、音楽製作における私の考え方に影響を与えました。そのようにしてボックスウッドは生まれ、16年になろうとしているのです。そのテーマは依然として変わっていないと言いたいです。」

そして、ボックスウッドは想像どおりサマー・スクールと同じくらい素晴らしいです。私はゲスト講師として2回参加しました。私が好ましく思ったものはその包容力(誰もが受け入れられること)と、エゴ(自我を他人に押し付けること)の不在でした。参加者が名演奏家でも初心者でも誰も気にしません。クリスは何をやっても素晴らしかったです。

「皆が協力的になれるように、平等主義で競争をなくすように徹しました」とクリスは言います。
「ジャム・セッションでは専門家とそれ以外を分けるベルベット・ロープはありません。誰もが歓迎されており、参加できると感じられるようにしてあげるべきです。同様に、食堂にもベルベット・ロープはありませんので、学生と先生が自由に交ざり話します。」
そして、ボックスウッドの成功の秘訣は食事です。食事についてクリスの意見ははっきりしています。
「クラスでは限られたことしかわかりませんが、本当に誰かを理解してその行いに共感をしたいのなら、ただ座って彼らと食事をとればよいのです。」
ボックスウッドの夕食は、それはものすごいもので、参加者をゆったりと心地よい気分にさせるためには重要です。
「机に美味しいものがあったら、長居したくなるでしょう。それが美食の醍醐味なのですから。」

ボックスウッドの次は何でしょうか。ノヴァスコシア州とニュージーランドでますます盛り上がっているのに加えて、クリスはアメリカで週末連続の催しを検討しています。来年には、フェスティバルの計画の手助けを頼むことを決めました。彼は企画の管理者ではなく演奏者であり続けたいし、楽器を作る時間を楽しんでいる間も作業場に閉じこもってしまいたくはないのです。

「人生の側面が互いに教え合えるように、バランスをとりたいです。」

翻訳:井上綾、hatao

原文:http://robertbigio.com/norman.htm