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ケルトの笛奏者の紹介

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John McKenna

 

バイオグラフィー


ジョン・マッケナ John McKenna(1880-1947)は、レイトリム出身のフルート奏者です。

フルート演奏の盛んなレイトリム・ロスコモンの境付近に生まれ育ったマッケナは、二十代でアメリカに渡り、ミューヨークを拠点として1920年代から1930年代にかけて多くの録音作品を発表しました。
当時のアメリカはレコードの普及による商業録音の黎明期に当たり、アイルランド移民たちによってアイルランド音楽の録音も盛んにリリースされるようになっていた時期でした。

この時代の録音によって演奏が伝えられるミュージシャンとしては、フィドルのマイケル・コールマン Michael Coleman(1891-1945)やジェイムス・モリソン James Morrison(1891-1947)などが著名ですが、フルート奏者としてはマッケナの知名度と事績が際立っており、後世の多くのフルート奏者に影響を与えています。

ジョン・マッケナは、1880年1月6日に、カウンティ・レイトリムのテンツに生まれました。
当時のアイルランドは1845年から1849年にかけてのジャガイモ飢饉の影響で人口が減少を続けている時期でした。
ジャガイモ飢饉ではアイルランドの全人口の10%以上の人々が餓死したといわれていますが、その影響はマッケナが生まれ育ったレイトリムを含むアイルランド西部に顕著で、他の地方と比べて特に多くの人々が亡くなりました。

飢饉に耐えた人々も、アメリカを初めとする国外への移住を進めました。マッケナの家庭においては、1889年(マッケナ9才の年)に父のパット・マッケナが47才の若さで亡くなり、この年と前後して5人いた姉(異父姉)たちのうち4人が、何らかのつてでアメリカに渡ったものと見られています。マッケナは残された母と一人の弟とともに、テンツで少年期・青年期を過ごしました。

当時のアイルランドは、現在アイリッシュ・フルートと呼ばれている楽器の原型となる、木製フルートの普及期でもありました。1847年にベーム式のフルートが完成して普及し始めると、それ以前に使用されていた木製フルートが中古市場に出回って安価に入手できるようになり、アイルランドでは伝統音楽に使われるようになっていきます。
マッケナが生まれ育ったレイトリム・ロスコモン周辺の地域では特にフルート演奏が盛んで、フルート奏者の数がフィドル奏者の数を圧倒するほどでした。
マッケナはこのような環境の中で地域のミュージシャンたちから曲を覚え、フルートで演奏するようになりました。20才のころにはロスコモンの炭鉱で職を得ましたが、職場に炭を求めに来た客にフルートを吹いて聴かせることがあったと、彼の親族が後に伝えています。

1904年、24才の年に、マッケナは姉たちのつてを頼ってニューヨークに渡ります。
ここで5年間の労働によって帰化資格を得ると、1909年には一度アイルランドに戻り、渡米前からの交際であったと思われる女性と結婚して再度ニューヨークに渡ります。
再渡米ののち、マッケナは技師などの職を渡り歩きながら、妻との間に8人の子を設けました。うち2人の子は小さいうちに亡くなりますが、残る子供たちを育てながら、1920年にはニューヨーク市消防局で消防士として常勤の職を得ます。

1922年、マッケナはスライゴー出身のフィドラー、バーニー・コンロン Barney Conlonとの共演で、最初の録音作品となる78rpmレコード(いわゆるSPレコード)をリリースしました。
 

その後も録音作品の発表は続き、1923年から1924年にはピアノ伴奏を伴ったソロ盤、1925年にはバンジョーマンドリンなど演奏するマイケル・ガフニー Michael Gaffneyとのデュオ盤、1928年から1929年にはフィドルのジェイムス・モリソンとのデュオ盤を発表しました。
 

特にモリソンとの録音は古典的な名盤として聞き継がれ、現在でもセッションや録音等で、そのセットを演奏されることがあります。

同時代にアメリカに渡ったジェイムス・モリソンやマイケル・コールマンが専業のミュージシャンとして生計を立てていたのに対して、マッケナは昼の仕事を続けるかたわら、ミュージシャンとしての活動を行っていました。
当時のアメリカにおけるアイルランド移民の待遇は悪く、消防士や警察官などの危険を伴う職業が典型的な就職先でした。初期の録音では、マッケナとバーニー・コンロンがともにFireman(消防士)としてクレジットされていますが、このようにミュージシャンの中にも、同様の職業に就いていたケースがしばしば見られます。マッケナの場合はレコーディングミュージシャンとしての副業を得て、発表したレコードが人気を博したことが、大家族を養うための大きな助けとなったようです。

1926年、妻が第9子を身ごもりますが、妊娠時の合併症により胎児とともに死去したことにより、マッケナの生活は一変します。3才から16才までの6人の子供たちを養うため、消防士から鉄道会社の技師に転職し、演奏活動のペースを落としながらも、引きつづきレコードの発表を続けます。1937年にはスライゴー出身のフルート奏者、エディー・ミーハン Eddie Meehanとの録音を発表し、これが最後の録音作品となりました。
1938年には、ほぼ30年ぶりに故郷のレイトリムを訪れ、その後はニューヨークで晩年を送ります。第二次世界大戦の終息を見届けた1947年、マッケナは67才で世を去りました。
 

ディスコグラフィ



マッケナの録音は従来長い間CD化されていませんでしたが、2014年にレイトリムのJohn McKenna SocietyがリリースしたCDブックによって、手軽に耳にすることができるようになりました。
2枚組のCDには生前の録音全点がデジタルリマスタリングで収められ、同梱の冊子にはバイオグラフィー・ディスコグラフィー・奏法解説などが100頁超に渡って詳しく記載されています。
多くのフルート奏者に影響を与えたマッケナの音楽をたどるうえで、必携の資料です。
 

レビュー


Tailor's Thimble / The Red Haired Lass
 
1929年にリリースされたモリソンとのデュオ録音の中でも特に著名なトラックです。

曲はマッケナのレパートリーによるレイトリム・チューンで、モリソンは当初これらの曲を知りませんでしたが、レコーディングの2日前にマッケナの演奏を聴いて覚え、録音当日には完璧に弾きこなしていたという逸話があります。このような経緯もあって曲のフレージングはフィドルとフルートで完全に一致しているのですが、それだけでなくフィドルのボウイングとフルートのブレスコントロールによる強弱もよく一致していて、理想的なデュオ演奏の好例といえます。

マッケナの演奏スタイルは強拍を吹き込むことによって一定の強弱をつけながら適度にロールやカットも用いるスタイルで、当時のレイトリム・ロスコモンの地域スタイルを伺い知ることができます。
ピアノ伴奏者は不明ですが、CDブックのリマスタリングを担当したハリー・ブラッドショーによると、同時代のアイルランド音楽のレコードに多く参加しているエド・ジョーヒガンEd Geoghegan かもしれないと推定されています。
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