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ケルトの笛 インタビュー

デジ・ウィルキンソン(Desi Wilkinson)

※ このインタビューは、ホームページ「A Guide to the Irish Flute」より、著作権保有者のBrad Hurleyの許可を得て翻訳、公開しています。英語翻訳:村上亮子

「美しくダイナミックに演奏してください。大好きな曲だけを演奏してください。速く吹きすぎてはいけません。」
― デジ・ウィルキンソン

経歴

出典 A Guide to the Irish Flute

デジ・ウィルキンソンは名だたるアイリッシュ・ミュージシャンの多くと共演を重ね、ツアーに参加している。
一例をあげると、デ・ダナン De Dannan、ドナル・ラニー Donal Lunny、リアム・オフリンLiam O’Flynn、マーティン・オコナー Mairtin O’connor、アンディー・アーヴァイン Andy Irvine などがいる。
デ・ダナンのゲストとしてアメリカツアーに参加し、劇場のための音楽をアレンジして自ら演奏した。
(インバネス・コート・シアター・カンパニーの作品、「ブラハン・シーア」で舞台に立ったこともある)

3年の間、北アイルランド芸術協会で地区芸術家(Artist in the Community) として働き、伝統音楽プロジェクトを立ち上げ、研究を続けた。
その間にベルファスト大学で民族音楽学の修士を取っている。

ベルファスト大学ではトルコ音楽への関心を深め、バグラマ(トルコのリュート)の演奏を学んだ。
1992年から94年にかけて、彼はブルターニュに住み、ブルターニュの音楽を学び、演奏し、研究を重ねた。
フランス語も堪能である。

1993年には、中世のサンチアゴへの巡礼に基づくHent St. Jakezという全欧音楽プロジェクトに加わり、スペイン、ポルトガル、フランスで演奏し、3曲からなる組曲を作曲した。
これらはCD“Hent St. Jakez”(シャムロックレコード、1993年)で聞くことが出来る。

このインタビューが行われた頃、デジはソロアルバムを完成し(Mairtin O’Connor, Gerry Cullotyがゲスト参加)、リムリック大学で研究をしていた。
彼はクランCranという有名なバンドで演奏しているが、イリアンパイプスのロナン・ブラウンRonan Browneもそのメンバーである。
彼の演奏は、ドロレス・キーンDolores KeaneのCD“Night Owl” でも聞くことが出来る。

作品一例
* * Cosa Gan Bhroga / Gael-Linn / 1987 ( Gerry O’Connor, Eithne Ni Uallachain 他と)
* * The Three Piece Flute / Spring Record / CSP 1009
* * Hent St.Jakes / Shamrock Record / 1993
* * Cranとして The Crooked Stair / (Sean Corcoran Neil Martinと) * * Cranとして Black Black Black /Claddagh CC63CD (Sean Corcoran Ronan Browneと)
* * Cranとして Lover’s Ghost / Black Rose Records BRRCD003 (Sean Corcoran Ronan Browneと)

インタビュー  (1998年4月)

※左枠:インタビュアー 右枠:デジ・ウィルキンソン

ベルファストは、いや北アイルランド全体としても、多くの優れたフルート奏者を輩出しています。
一例を挙げるなら、まず、ウィルキンソンさんご自身、それから亡くなられたフランキー・ケネディー Frankie Kennedy、ハミー・ハミルトン Hammy Hamilton、マーカス・オマルハ Marcas O'Murchu、ゲリー・オドネル Gerry O’Donnell, ラリー・ニュージェント Larry Nugent、カホル・マコーネル Cathal McConnell等々。
フルート製作者のサム・マリー Sam Murryはベルファストに工房を持っています。
ベルファストやその周辺は、フルートの長い伝統があるのですか。
それともこの人たちが特別なのでしょうか。

マーチングバンドの伝統があります。
元々はファイフ、後にピッコロを(カトリックとプロテスタントの)どちらの陣営も使いました。
カホル・マコーネルは大きな影響力を持っていて、上に列挙したすべての奏者の先頭に立っていました、彼は北部出身で、ベルファストにもよく行っています。
彼は私たちより少しだけ年上で、みんな仲間でした。
トミーの妻のシーラ・ガンはB&Bをやっていて、カホルや他のミュージシャンもよくそこに泊まっていました。
Boys of the Loughの初期の頃、自分はまだ子供で、ガンの家の台所に座っていたのを覚えています。
ファーマナFermanagh(北アイルランド南西部の行政区)の音楽は、このようにして、みんなが幼い頃、音楽を聞いて学ぶ体験を重ねることで作られていくのです。

私の耳には「ベルファスト・スタイル」、少なくともベルファストの人の演奏で最もよく聞く奏法はリートリムやスライゴー、ロスコモンの伝統と共通点が多いと思います。
力強く大きな音、リズミカルな拍を与える息継ぎ。
あなたもそう思われますか?ベルファストの演奏法に影響を与えたのは何だと思いますか?

それはある点においてはベルファストのフルート奏者達は(当然私も含め て)Leitrim/Sligo/Roscommonの演奏スタイルやレパートリーに惹かれる 傾向があったからです。
なぜなら、それらの地域の演奏スタイルは、 私たちが最初に薫陶を受けたファーマナのものとはまったく異なっていたから です。
ベルファストに固有のものがあるとすれば、それは鼓笛隊のスタッカート奏法です。
若い頃はそれが普通にありました。
たとえ止めようと思っても、止めることは出来なかったのです。
今、私たちは誰もそのようなスタイルを分かち合ってはいないと思います。
大切なのはレパートリー、社会で共有しているもの、人生の初期での体験で、共通した「ベルファスト」スタイルの様なものがあるのではないと思います。

音楽の上では誰の影響を受けましたか。
フィドラーのトミー・ガンTommy Gunnの影響は大きかったのですね。

ええ。
それからドニゴールのフィドラーのチャーリー・オニールCharlie O’Neillのような方。
古い時代を知っている方は、私にとって大切でしたし、今もそう思っています。
歌う人も演奏する人も、いたるところに私に影響を与えてくれた人がいます。
すべてを列挙することは不可能です。
自分の音楽生活は果てしない発見の旅なのだと捉えています。
もしどこかに到達したと考えるようになったら、その時は音楽をやめるでしょう。

使っているのはどなたのフルートですか。
フルートを買うとしたら、どのような質を求めますか。

古いモンツァニ1本と新しいサム・マレーが2本です。
マレーを使っているのは軽くて丈夫だからです。
それにサムはすぐそこに住んでいるから、何かあったときには何時でも見てくれます。
新しいフルート製作者の作品、とりわけ、アメリカのパトリック・オーウェルのフルートは気に入っています。
古い時代のものよりいいものがたくさんあります。
オーウェルの竹のフルートを吹いていますが、素晴らしいです。

歌も歌うし、ハイランドパイプやフィドルも演奏しますね。
アイルランド以外の音楽もなさっています。
ジャン=ミッシェル・ヴェイヨンとの長い交友を考えると、たぶんブルターニュの音楽もなさっているのでしょう。
この「様々な文化との融合」がアイルランドの音楽をフルートで演奏する上で、何か変化をもたらしたと思いますか。

もちろんです。
クラリネットはそれまで吹いたことがなかったのですが、クラリネットでブルターニュのものを演奏するようにしました。
この経験から多くを学んだと思います。
というのも、ジャン=ミッシェルのフルートのブルターニュ・スタイルはとても素晴らしいので、真似してみる前にまず(ブルターニュ音楽の)基本に戻って見る必要があったのです。
(アイリッシュ・フルートでブレトン音楽を演奏することについては、)私は決してやってみたことはないのです。
 ブルターニュとアイルランドのスタイルの違いはとても大きいので、そこをはっきりさせるために、ブルターニュ音楽にはクラリネット、アイリッシュ音楽にはフルートと、こだわってみる必要があったのです。
自分では「異文化との融合」に関わっていないと思っていても、実際は関わっているのだと思います。
避けられないことです。
それが自然だし、望ましいことです!!!

多くの人がネット上のアイリッシュ・フルートのガイドを読んで、フルートを始めようとしています。
初心者に何かアドバイスはありますか?演奏法とか、練習の仕方、覚え方とか…

美しくダイナミックに演奏してください。
大好きな曲だけ演奏してください。
早すぎるのはダメです。
フルート奏者は速く演奏しすぎることが多いですね。
ええ、私もそのひとりでしょう。
多くの人の演奏を聞いてください。
フルートだけではありません。
好きだと思うものをまねて下さい。
それから自分のスタイルを作ればいいのです。

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