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ケルトの笛 インタビュー

マット・モロイ (Matt Molloy)

出典 mattmolloy.com

「学ぶべきものがあると知っている限り、あなたは成長を続けます。もう十分できるようになったと思った時は、年老いてしまった時なのです。」 ー マット・モロイ

このインタビューは1997年9月26日、モロイが新しいアルバム “Shadows on the Stone” をリリースした直後に行われました。
インタビューアーはモントリオールのフルート奏者ショーン・マカッチャン Sean McCutcheonです。
※ このインタビューは、ホームページ「A Guide to the Irish Flute」より、著作権保有者のBrad Hurley氏の許可を得て日本語翻訳し、公開しています。英語翻訳:村上亮子

※左枠:インタビュアー 右枠:マット・モロイ

お父様も、おじ様もフルートを吹いておられましたね?

ええ、祖父も吹いていました。
父の血筋はみんなフルートをやっていまして、祖父が吹いていたのは今世紀(20世紀)の初め頃でした。
みんな南スライゴー出身で、私が生まれたのもその近くです。
ロスコモンとの境界線をちょっと越えたところでした。

新しいCDのライナーノートに書いてありましたが、子供の頃、木々をわたる風の音を聞いて、頭の中でリールの音と渾然となったとか。

子供の頃は、音楽を浴びるように聴いて自然に覚えました。
両親のうち1人がフランス語を話し、もうひとりが英語を話すなら、2つの言語をいつも聞いて、自然に身につけてしまうみたいなものです。
父はフルートを吹いていたのですが、その頃は音楽から離れていました。
でも私がフルートに関心があるとわかると、教えてくれるようになったのです。
私は公立小学校のファイフ&ドラムのバンドから始め、鼓笛隊向きの簡単なマーチから覚えていきました。
そのあと父から教わるようになり、父は興味を持って私に教えてくれました。
しばらく吹いていなかったフルートを、アメリカから持ち帰った大きなトランクから取り出し、たっぷりとオイルを塗り、再び息を吹き込んだのです。

どうしてフルートだったのですか?

どうしてなのでしょうね。
とにかく夢中になりました。
父や叔父や祖父も吹いていたからじゃないでしょうか。
私をひきつけたのはその楽器の音色です。
自分で表現できることがうれしかったのかもしれません。
フルートがそれを可能にしてくれました。
自分の感じるものを一番うまく表現することができるのがフルートだったのです。

セッションにはよく行きますか?

今と違って、あの頃はセッションというのはあまりなかったのです。
50年代、音楽をする単位は家庭で、同じような好みのよその家庭とつながっていました。
1ヶ月に1回か2回集まっていっしょに演奏したのです。
ラッキーだったのは、すぐ隣にアイルランド語の先生が住んでいたことです。
フィドルを弾く人で、世界的な奏者というわけではありませんが、音楽にもアイルランド語にも熱心で、世話役としても立派な方でした。
彼は人々を集め、学校の教室を使って音楽の集まりをしました。
週末にひとつの町のミュージシャンがやって来ると、別の週にはまた別の町からミュージシャンがやって来ました。
2週間か3週間に1回、そんなことをしたのです。
このようにして、今よりは小さな規模ですが、他のミュージシャンの音楽を聴いたのです。
でも、あなたも音楽をする人や同好の人に会ったり、曲の異なったヴァージョンを聞いたり、新しい曲を覚えたりしたでしょう。
特に、あの頃の私と同じような若い頃にはね。

セッションではフルートの音量が問題になりますか?

そうは思いません。
メイヨー州のウェストポートに自分のパブがあって、毎晩そこで音楽をやっています。
セッションです。
観光客用のものではありません。
例えば2人の人がやってきて演奏する。
他の人も加わる。
普通私も加わりますし、私の息子もフルートをします。
大丈夫です、問題はありません。
もし本当に騒々しい人たちが来たら、困るかもしれません。
もし音楽に興味ないがパブの雰囲気が好きだという、例えばゴルファーの一団が来たら、わたしは、穏やかにパブの別の一角に移ってもらうようにお願いします。
普段私たちが音楽をするのは元キッチンだった所です。
私たちはそこへ行って演奏しています。
十中八九大丈夫です。

最初に吹いていたのはドイツのフルートですね?製作者は不明で、指孔が小さくてやさしい音の?

そうです。
最初は父のフルートを吹いていました。
父がニューヨークのピアノ工房ワーリッツァー(Wurlitzers)で買ったものです。
父は若い頃、合衆国に行っていました。
20代中頃のことで、そこでドイツ製のフルートを買ったのです。
先ほどあなたがおっしゃった通りの品物です。
小さな指孔でやさしい音色。
ソロで吹くにはいいものです。
でもセッションやバンドで多くの人といっしょにすると(私はケーリーバンドをやっていました)、音が聞こえなくなってしまいます。
それで、ルーダル&ローズ(19世紀ロンドンのフルート工房)を借りて吹いていました。
ある人が私の意見を聞きたいとルーダル&ローズをプレゼントしれました。
すばらしいものでした。
友達がそれをくれたのです。
ボシーバンドBothy Bandの演奏はみんなルーダル&ローズでしました。

初めの頃はE♭のフルートを吹いていましたね。

後にE♭を吹くのが一種の流行になりましたが、たぶん私がE♭を流行らせたひとりだと思います。
フィドルのトミー・ピープルズとよく一緒に演奏していました。
トミーは勢いのある切れのいいプレイヤーでしたが、すべて偶然だったのです。
ある時、友達の友達を紹介してもらったのですが、その人は事故で手を痛めていました。
吹奏楽で演奏していた人で、そこではE♭を使っていたそうです。
そのことは何も知らなかったのですが、彼は自分のフルートを私に売りたいと思っていました。
結局買うことになったのですが、音が大きくて気に入りました。
でも、これを持ってどこへ行けばいいのでしょう?セッションは普通D調なのですから。
ところが、これを吹いているのをトミーが聞いていたのですが、彼はE♭でがんがん弾くのが好きでした。
こうして私たちはE♭で演奏するようになったのです。
最初のソロアルバムでもこのフルートを吹きました。

あなたのフルートはどなたが作ったものですか?

私が吹いているのはブージー Booseyです。
Pratten’ Perfected Boosey(プラタンの改良したブ-ジー)と呼ばれています。
1861年製で、Sidney Prattenからケースと保証書つきで買いました。
Sidney Pratten(1824-1868)はその時代のランパルRampal(フランスのフルート奏者、1922-2000)やゴールウェイ Golway(アイルランドのフルート奏者、1939-)のような人で、完璧なオープンホールのシンプルシステムフルートを作るためにブージーと提携しました。
彼は「これはあらゆる点で完璧だ。
」みたいなことを言っています。
私がチーフタンズで吹いたのも、新しいソロアルバムで ”The Wind in the Woods” を吹いたのも、このコンサートフルートです。

どんな改良なのですか?

それはシドニー・プラタンに聞いてみたいところでしょうが、彼はもう亡くなっています。
とにかくPratten Perfacted Fluteと呼ばれているのです。
うぬぼれですかね。
合併してBoosey and Hawkes になる前にもブージーと提携していました。
大きな音を得るための協力です。
指孔を少し大きくしました。
指孔のかなり大きい楽器です。

これが一番好きなフルートなのですね。

いつもここに戻っていきます。
もう25年吹いています。

あなたが気に入っているその音は、このモデルの特徴なのですか。
それとも、特定の「その」フルートの音色なのですか?

私の演奏に向いているのです。
繊細さが欲しい時には繊細に、パワーが欲しい時にはパワフルに鳴ってくれます。
私がしっかりしていれば、私の求める豊かな木製の音を与えてくれます。
扱いにくい楽器です。
重いですし、息などに関しても。

Shadows on Stone のCDで使ったもう一つの笛はホークスHawkesのB♭で、4曲か5曲で使いました。
美しい笛で本当に好きです。
1880年頃の製作で、古いいい楽器で美しい音色です。

最近のフルート製作者とか、新しいアイリッシュ・フルートについてはどう思われますか?

現在の製作者で一番優れているのは、間違いなくバージニアのパトリック・オーウェルPatrick Olwellです。
優れたフルート製作者で、自分でもフルートを吹きます。
この人はフルートがどういうものか、ちゃんと分かっています。
あなたの希望を伝え、音域や音質や音色について話をすると、彼はきちんと理解し、フルートの形に再現するのです。
素晴らしい才能です。

イングランドにはクリス・ウィルクスChris Wilkesがいます。
アイルランドにはハミー・ハミルトンHammy Hamiltonやサム・マリーSam Murray、ブランダン・マクマホンBrendan McMahonがいます。
彼らはみんなフルート作りの技術を進歩させてきました。
初めの頃は試行錯誤でしたが、今では立派な笛を作るようになりました。
みんないいフルートを作っています。
一度滅びかけた技術であることを考えると信じられないほどです。

パトリック・オーウェルは、最も優れた製作者だと思うのですが、2ヶ月前ウェストポートの私の家に遊びに来てくれました。
私たちは延々とフルート演奏について語り合い、吹き比べ、特徴を調べたりしました。
パトリックは試作品を持ってきてくれていて、私は試奏し率直に意見を言いました。
よいところ悪いところを指摘し、どうすればよくなるかなど思ったことを伝えました。

理想的なフルートとはどんなものでしょうか?

私はボートに関心があって、1艘持っているのですが、同じようにボートに関心がある弟と話していました。
―いいかい、私が考えているのは完璧なボートなんだ。
33フィートで、自分で制御できる丁度いいサイズ。
今持っているボートより2~3フィート長いヤツだ。
本当にいいボートが欲しい。
そのためには金を惜しまないよ。
それは私が死んだ後も10~15年は残るだろうし、その後は、もうどうでもいい。
すると弟はこう言うんです。
「完璧なボートって何かわかるかい?」「いや。何だ?」「今持っているボートより2フィート長いボートだよ。永久に探し続けるのさ。」

私はオーウェルのフルートを持っていますが、今は娘が吹いています。
吹きやすいし、鳴らしやすいです。
いつも言うことですが、これをさらに10年吹こうとは思いません。
まだまだブージーを吹きこなす力は持っています。
オーウェルのフルートは息を吹き込むと簡単に鳴るのです。
今吹いているものより2倍も吹き安いのです。

あなたの素晴らしいテクニックは、育った環境が音楽にあふれていたからでしょうか。
それとも練習の成果ですか?

練習はよくしたと思います。
私の生まれた地域はフィドルやフルートの音楽に囲まれていました。
北ロスコモンから南スライゴーにかけては、フィドルとフルートが盛んなのです。
マイケル・コールマン Michael Colemanやパディー・キロラン Paddy Killoran等優れた奏者がいます。
フルートを楽しむ人も大勢います。
こういった人たちの中にいたら、自分の音楽に影響が出てくるのも当然です。
私はそれまで他の人が吹かなかった曲を探し求めるようになりました。
フィドル曲やアコーディオンの曲、イリアンパイプスの曲を吹いて、なにか面白いことができないか試してみたのです。

フィドルの曲とか、アコーディオンの曲とかは、どういう特徴があるのですか。

イリアンパイプスに関しては装飾です。
テクニックはかなり難しいものもあります。
フィドル曲を確実に物にしたいのなら、1オクターブの跳躍をできるようにしてください。
アコーディオンでも同じようなものです。
元々の楽器では簡単にできるのですが、フルートでするとずっと難しくなります。

これらの技法をあれこれフルートで試してみて、ある時突然できるようになりました。
この技法がフルートでも使えると思っている人は今ではたくさんいますし、他にも色々テクニックを使っています。
でも以前は、フルートには合わないという理由で、このような曲の多くは敬遠されていたのです。

最初のアルバムで、幾つかの技法に挑戦していますね。

ハードDというテクニック(イリアン・パイプスにおいて、わざと圧力をかけてひび割れた最低音のDを吹くテクニック)をフルートで再現することも、試行錯誤でした。
なかなかイリアンパイプスのようには聞こえません。
ハードDはパイプのテクニックだからといって、リードのことを考えて再現しようとするからうまくいかないのです。
吹いているのはフルートだということを忘れずに。

ハードDは唇でするのですか。それとも指ですか?

両方です。
ハードDもフルートでできる装飾になってきましたし、効果的に使っている人もいます。
今ではもう大きな問題ではないのです。

曲は書き留めておくのですか?

A: 困ったことによく忘れるようになってきたのです。
それで曲の各パートの最初の部分の音を書き留めるようにしています。
ABCで書きとめてファイルするのです。
きちんと楽譜を学んだことはないのですが、自分なりにスラッシュや点や横棒を使って記録することはできます。
長年そのやり方で工夫してきましたが、単純なもので単なるメモのようなものです。
チーフタンズで方々へ行っていますが、飛行機に乗っている間にセッションのテープなどを聴いています。
メモ帳と気になっている曲を持って、曲の初めの部分を書き取るのです。
「今書いておかなきゃ。
またやるときのためにね。
」ってことです。

このところ、曲が速く、刺激的になって来ています。
音楽の変化についてどう思いますか。

A: 問題ありません。
それもまたいいものです。
チーフタンズでも速い曲をやってい るし、ツアーもめまぐるしいものです。
1年のうち4~5ヶ月はツアーに出ていて、結構ハードなスケジュールです。
年を取ってくると、いつも同じものを求めるようになってきます。
私は旅から戻ってくるとすぐに、孤独と静寂が欲しくなります。
ツアーに出ているときとは正反対なものです。
家から歩いて5分ほどのところに森があります。
海を眺めたりするし、川が好きです。
海が好きです。
小船を持っていて、釣りをしたり、泳いだりするのが好きで、スキューバダイビングも少しします。
犬を連れて散歩します。
少し内省的になりますよ。
自然に関する曲は特に心に響きます。
最新のアルバムでそれがよく出ていると思います。
円熟している、より深遠になっているかもしれません。

ダンス音楽を理解するためには、ダンスをするべきでしょうか?

そうかもしれません。
ただ困ったことに、私が始めた頃、50年代から60年代、ケーリーバンドが盛んでした。
そして町に来るどのバンドにも私はボランティアとして参加してフルートを吹きました。
メンバーは私が行くと喜んでくれました。
私が舞台で吹いている間、2人いるフルートが交代で踊りに行くことができましたから。
私はいつも踊り手のために吹いていて、踊る機会はなかったのです。
どちらの足を最初に踏み出したらいいのかもわかりません。

アイルランドの伝統音楽を演奏することについて一言お願いします。

調べれば調べるほど、この音楽に分け入って行けば行くほど、自分が何も知らないことが分かると思います。
まだ学ぶことがあるということが分かっている限り、進歩し続けることができます。
もう十分上手くなったと思ったときは、もう歳を取りすぎてしまったということです。

アイルランド音楽は、モードもリズムも限られています。
ユニゾンです。
それでも素晴らしく美しくパワーがあります。
限界があるということは豊かな表現につながります。

伝統音楽に関する限り、大切なのはソロを演じることです。
それはメロディーラインに自分の解釈をあたえることなのです。
その曲の解釈が上手くいくこともあるし、いかないこともあります。
私が吹くのと同じに吹いてもダメです。
あるいは私が他の誰かと同じように吹く必要もないのです。
そこに自分自身の印を残す必要があります。
よくも悪くも、少なくともそれは「あなた」なのです。
あなたそのものなのです。
そこにすべてがかかってきます。

何千もの曲があります。
曲で遊び、曲に形を与え、必要と思われる表現をあたえる。
…時には上手くいくし、上手くいかないこともある。
しかし前にも言いましたが、音楽は発展しました。
音楽は興味深いものだけれど、それなしでもやっていけます。
でもあったって悪くありません。

Q: アイルランドの伝統はあなたにとって豊かなものですか。

私が必要とするものはすべてそこにあります。
私の一部です。
私そのものなのです。
言えることは、アイルランド伝統は私の一部だということです。

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