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ケルトの笛 インタビュー

ジョーニー・マッデン(Joanie Madden)

※ このインタビューは、ホームページChiff and Fippleより、著作権保有者のDale Wiselyの許可を得て翻訳、公開しています。英語翻訳:村上亮子


何年か前、私はラジオでジョーニー・マッデンのインタビューを聞いた。
曲も少し流れていた。

あの頃は、ティン・ホイッスルとはどういうものなのか、私はほとんど知らなかったのだが、それからしばらくして、近所の楽器店で最初のホイッスルを買うこととなった。
そしてすぐに、坂道を転げ落ちるように「ホイッスル依存症候群」になってしまったのだ。
こうなったのもジョーニーが悪いのだ。

今週、ジョーニーに会って、話が聞けたのはとてもうれしかった。

チェリッシュ・ザ・レディース(Cherish the Ladies)のツアーに出発する直前、ジョーニーがChiff & Fippleのインタビューに応えてくれたのだ。

ジョーニー・マッデンがリーダーをしているチェリッシュ・ザ・レディース(Cherish the Ladies)は第一世代のアイルランド系アメリカ人ミュージシャンのグループで、世界でもっとも有名なアイリッシュ系バンドの1つである。

ジョーニーは1965年にニューヨークに生まれた。
母親はクレアの出身で、父親はゴールウェーの出身である。
幼い頃、父親のジョーが家でアコーディオンを弾くのを聞いて育った。

ジャック・コーエンにホイッスルを習い始め、5年でホイッスルとコンサートフルートで世界チャンピオンになった。

1984年、ジョーニーは、アメリカ人として初めて、ホイッスルでオールアイルランド(成人の部)の勝者になったが、いまだ彼女に続く者はいない。

ジョーニーは多くの賞に輝き、その中には、アイルランド系アメリカ人ミュージシャンの殿堂に最年少で殿堂入りしたことや、ワイルド・ギース賞受賞や、アイルランド文化を広め、保存に尽くしたことで、トップ100アイルランド系アメリカ人に選ばれたことなどが含まれる。

ジョーニーは50枚以上のアルバムに参加しているが、1994年には、グリーンリネットレーベルから、ソロデビューアルバム"A whistle on the Wind"をリリースし、賞賛を浴びた。

1996年には、”Song of the Irish Whistle”(ハーツオブスペースレーベル)が続き、常にホイッスルのアルバムとして高い売り上げを誇っている。

ハーツオブスペースレコードから"Song of the Irish Whistle 2”を出したばかりである。
 

幼い頃、どのようにアイルランド音楽と関わったか、教えてください。

一番最初どうだったのかは、覚えていません。
だって、アイルランド音楽はいつも身の回りにありましたから。

父のジョーはアコーディオンの名人で、母はクレアのセットダンスの名手でした。
父は古いオープンリールのテープレコーダーをまわしていたので、一日中、レコードがかかっていました。

仕事から帰ってくると、真っ先に持ち出すのが、「箱(Box:アコーディオンのこと)」なんです。
私が実際に演奏を始めた時、とても簡単に思えました。
すでに私の心に埋め込まれていたのですから。

ホイッスルやフルートの前に、他の楽器をやってみたことはあるのですか?

父は私の骨の髄まで音楽がしみ込んでいることに、気付いていたと思います。
大叔父が作った古いフィドルが、家の壁にかかっていました。
父はアコーディオンとフィドルのコンビネーションが好きで、私にフィドルのレッスンを受けるように言いました。
「いいわ」と答えたのですが、6ヶ月レッスンを受けてみて、結局フィドルが好きになれなくて、母に、「リビングへ行って、先生にやめるって言って」と頼みました。
先生は家中探して「ジョーニーはどこだ?どこにいるんだ?お前はすごいやつになるぞ。」って。
でも見つけられませんでした。
私はベッドの下に隠れていたのです。

1年後、ピアノを始めようと思いました。
リビングにピアノがありましたから。
5回レッスンを受けて、父にやめると言いました。
ピアノが嫌いになったのです。

ある日、両親の友達のメアリーとペギーのノートン夫妻が訪ねてきました。
メアリーは近所に住んでいるジャック・コーエン(Jack Coen)のホイッスルのレッスンを受けていて、私はメアリーに「ティン・ホイッスルってなあに?」と聞いたのです。
メアリーはバッグから取り出して見せてくれ、私はその形も音色も気に入ってしまい、父にホイッスルがやりたいと言いました。
父の答えは、「くそ食らえ。お前にも音楽にもびた一文使うもんか!」でした。
私は「いいわ。ベビーシッターで貰ったお金で払うから!」って言って、本当にそうしたのです。
私は7軒隣に住んでいるジャック・コーエンを訪ね、最初のレッスンを受けたのは13歳の時でした。毎日昼休みには、学校から走って帰ってきて、ホイッスルを吹きました。
夢中でした。
後はご存知の通りです。

人前で演奏したのはいくつの時ですか?

2曲覚えたらすぐに、父のバンドで演奏しました。
怖かったです。でも、父は私がいて嬉しそうでした。

他のジャンルの音楽に気持ちが移ったことはありませんか?

フィドルのアイリーン・アイヴァース(Eileen Ivers)と私は、一緒に学校へ行った仲で、今でも一番の友達です。
私たちは遊びで、ちょとジャズ風に演奏したり、カントリーやブルースやロックンロール風にとか、色んなことをやってみました。
でも、いつも伝統音楽にもどってきました。どうしてもそうなってしまうのです。

一番影響を受けた人は、どなたでしょう?
最初はジャック・コーエンの指導を受けたのですね。
彼についてはどうですか?

ジャックはすばらしい先生でした。
いつも励ましてくれるし、知っていることを惜しみなく分け与えてくれました。
生徒はたくさんいました。
忍耐強い先生だし、励ましてくれますから。

ジャックはタイミングと装飾の基本に焦点を当てていました。
美しい東ゴールウェーのスタイルで、装飾はあまりつけません。
ロールよりも旋律が大切だと強調し、音楽それ自体が語るように、と言っていました。
ジャックがいなかったら、私がホイッスルを演奏することはなかったと思います。
彼は私を正しい道に導いてくれ、私は、その道を歩き続けただけなのです。

また、ニューヨークで私に影響を与えた2人のフルート奏者に出会いました。
マイク・ラファティー(Mike Rafferty)とマイク・プレストン(Mike Preston)です。

マイク・ラファティーはメアリー・ラファティー(チェリッシュ・ザ・レディースのアコーディオン奏者)のお父さんで、私に言わせれば、今までで最高のフルート奏者の1人です。

スライゴー出身のマイク・プレストンはタラ・ケイリー・バンド(Tulla Ceili Band)のフルート奏者で、我が家から数マイルのところに住んでいて、いつも励ましてくれました。

そして、私の大好きなホイッスル奏者、メアリー・バーギン(Mary Bergin)を忘れることはできないでしょう。
レッスンを受けたことはないのですが、ホイッスルの吹き方については、誰よりも多く教えていただいたと言わねばなりません。
メアリーのレコードを文字通り擦り切れるまで聞きました。
今でもA面を吹いて、とかB面を吹いて、と言われたら、その通り出来ますよ。

あなたはオールアイルランドのホイッスル部門で優勝したアメリカ人として有名ですね。
この大会は、アイルランド以外ではあまり知られていません。
この競技について少し教えてください。

ええ。
私にとってオールアイルランドに参加することは、競技と言うよりも、社交のようなものです。

毎年、フラー・キョール(Fleadh Cheoil:音楽祭と言う意味のアイルランド語)がアイルランドのどこかの町で開かれます。

毎年8月の終わりに開かれ、何十もの音楽コンクールを主催し、アイルランド中、いや世界中の、何十万人もの音楽家や音楽愛好家を楽しませてくれます。
パブや路上で楽しむこともできます。
いたるところにフィドルを弾いたり、ホイッスルを吹いたりする人がいて、信じられないほどです。
音楽祭のあと何日もたってからでも、耳の中で音楽が鳴り響いています。

オールアイルランドで優勝することは音楽家の夢ですし、競争は熾烈を極めます。
アイルランドには32の州(county)があり、4つの地方(province)に分かれています。
それぞれの州が、州大会を開き、各分野のトップ2人が地方大会に進みます。

そして地方大会のトップ2人が、アイルランドを代表して、オールアイルランドに出場します。
つまり、アイルランドのトップ8の奏者と競うことになります。

他の国も代表を送ります。
ヨーロッパから2人、カナダから2人、ニューヨークから2人、シカゴから2人です。
世界のトップ16と戦うことになるのです。
レベルは恐ろしいくらい高いです。
参加者の技術はすばらしいし、聴いているだけで、鳥肌が立ちます。

参加して2、3年は、何もなかったのですが、それから2年続けて2位になりました。
そして、1983年に金メダルを取りました。
父は大喜びでした。と言うのも、父もまったく同じ歳で、アコーディオンでオールアイルランドで優勝していたのです。
25年前、1958年のことでした。
その翌年、私は再び競技に参加し、オールアイルランド(成人の部)を取ったのです。

アメリカ人としては初めてのことで、また、いまだに私1人です。
メダルを取れてうれしかったのは、家族のためであり、またアメリカのためでもありました。
何年か前に、音楽の権威が「アメリカには、すぐれたフィドラーもいるし、アコーディオン奏者もいる。だが、アイルランドから優勝カップを持ち帰るようなホイッスル奏者はいないじゃないか。」と言ったのです。
彼が間違っていると証明できて、身震いするほどうれしかったです。

優勝カップを持ち帰って、一番うれしかったのは、メアリー・バーギンの名前がそこに付いていたことです。
その時たまたま彼女はツアーでこの町にいて、私はメアリーのコンサートに出かけていって、会うことができました。
私たちはシャンパンで乾杯しました。
最高の時でした。

チェリッシュ・ザ・レディースの結成はどうして…

オールアイルランドで優勝して、帰国してすぐ、ミック・モロニーから電話がありました。
ミックは音楽家として優れているだけでなく、民俗学で博士号を持っています。
ミックは私やアイルランドで活躍してきたアイリーンなどの音楽家にお祝いの言葉をかけてくれ、賞を取ったアメリカ人の95%は女性だと知っているかと尋ねました。
「いいえ、知りませんでした。でも、それが…?」
「今フィラデルフィアのアイルランド音楽協会と話していたんだが、1959年に会員が2500人いるのに、女性は1人もいないんだ!」

ミックはニューヨークの民族芸術センターと合同でコンサートを計画していて、アメリカの女性のトップミュージシャンを起用しようとしていました。
アイリッシュシーンにおける女性ミュージシャンの役割の変化に光を当てたいと思っていて、「結成に手を貸してくれないか。MCも頼む」と言いました。
「もちろんですとも!このシリーズをなんて呼ぶつもり?Cherish the Ladies(アイルランドの古いジグの曲名)なんてどう?」
「うまい。それで行こう。」

言うまでもなく、コンサートは大成功で、大勢の人が入場できないほどでした。
アメリカ中の様々な女性を取り上げてアルバムを作り、1985年、民族音楽のベストアルバムとして、国会図書館に選ばれました。
大成功だったので1987年5月にツアーを行い、その時、チェリシュ・ザ・レディースが正式に結成されたのです。
民族芸術センターとNEA(全米教育協会)と共にもう一度ツアーを行い、これだ、これでいこう、と言うことになりました。
私が、契約やマネージメントを引き継ぎました。
もともと、このツアーは10年の予定でした。もうすぐ、結成12年です。

Chiff& Fippleの読者は、特に楽器としてのホイッスルに関心があります。
あなたはたくさんのホイッスルを持っているでしょうね。
私よりも多いでしょう?

ここ数年、ホイッスルは驚くほど進化しました。
私が始めた頃は、周りにあるのはクラークかジェネレーションだけでした。
最近では才能あふれるホイッスル製作者がたくさんいて、ホイッスルの音や、調律性や、音色を総合的に改善しています。

私は主にパット・オリオーダン((Pat O’Riordan)のホイッスルを吹いていますが、マイケル・バークの素敵なBホイッスルも持っているし、グレン・シュルツのもあるし、オーヴァートンのロー・ホイッスルも、スザートもいくつか持っています。
※パット・オリオーダンは現在は廃業しています。

パット・オリオーダンのホイッスルに親しんでいらっしゃるのですね。
パットとはどうして知り合ったのか、また、おふたりの関係について教えてください。

パットと初めて会ったのは、ウェストバージニアのオーガスタ伝統芸術祭です。
私は、アイリッシュ・ウィークのマスタークラスでホイッスルを教えていました。
パットは私の生徒だったのです。

二日目が終わった時、パットは自分のホイッスルを見てほしいと言いました。
私は、「すばらしいわ。どこで手に入れたの?」と聞いたのですが、彼の答えは、自分で作ったと言うのです!
職人としての腕前は目を見張るものでした。
私たちはすぐに打ち解けて、彼のホイッスルをさらに改善する方法を話し合いました。

パットはとても気のいい人で、すぐに友達になって、私は彼のホイッスルの試奏をすることになりました。
まもなく、ホイッスルが私の家まで届けられ、私の意見を求められるようになりました。

私はどこがいいか、どこが気に入らないか、パットに伝えました。
次の週には、私の提案にしたがって改善されたホイッスルが届けられました。
これはお互いが納得するまで続けられたのです。

近所の人は私が麻薬の密売を始めたと思ったのじゃないかしら。
毎週毎週、長い筒状のものが配達されてくるのですもの。
それから、パットに、「ローGホイッスルを作ってもらえるかしら?」と聞いてみました。
彼の答えは「やってみます」でした。

ローGが郵便で届けられ、それは本当に美しかったのです!

それ以来、パットに依頼して、ローC、ローD、ローE、ローF、ローG、A、Bb、C、D、Eb、Eを作ってもらいました。(ローGを作ってと頼んだ時、断ってくれたらよかったんですよ!)

パットのホイッスルの音色は本当に魅力的で、これ以上のロー・ホイッスルがあるとはとても思えません。
この間、ニューヨークシティーでデイビー・スピラーン(Davy Spillane)とコンサートをしました。

デイビーは私のホイッスルが並んだのを見て、驚きました。
デイビーは1つ1つ順番に吹いてみて、今までに吹いた中で最高だと言いました。
彼は「きれいだ、きれいだ」と言い続け、パットの電話番号を教えるまで離してくれませんでした。
オリオーダンのホイッスルが好きなもうひとつの理由は、頑丈なことです。

ある晩、チェリッシュのコンサートが終わった後で、車に荷物を積んでいて、自分のホイッスルのケースはトランクに積んだと思っていたのです。
でも、積んでなかった!
私は車をバックさせてホイッスルを轢いてしまったのです。
でも、凹みさえありませんでした。
試してみることはお勧めしませんが。

とにかく私はパットのホイッスルが最高だと思うし、それで、オリオーダンを吹くのです。

ちょっと失礼。
きりが付いたところで、一言口を挟みたかったのですが。
最近、オリオーダンと話したのですよ。(ローGを注文しました!)
彼によるとあなたが新しいローDのデザインに色々助言なさったそうですね。
それについては、どうでしょうか?

また、毎週、円筒の荷物が届き始めました。
近所の人は眉をひそめ、郵便屋さんまで、疑わしそうな目をしました。
ローDに話題を戻すと、何がすばらしいかって、指穴の間隔です。
オーヴァートンは、指を伸ばすのに、手が痛くなります。
パットは一番下に3つ目の部品をつけて、それぞれの奏者が自分に合わせて、位置を動かすことができるようにしたのです。
ローCにも同じことをしてくれました。
音色を損なうことなく、指穴を小さくしてもくれました。
もう一度いいます。
私の意見では、オリオーダンのロー・ホイッスルは最高です。

ライブやレコーディングで一番よく使うホイッスルは何ですか?
ロー・ホイッスルの人気が高まってきて、ハイホイッスルとロー・ホイッスルの演奏の時間をどう分けていますか?

普段、バンドではハイDホイッスルを吹いています。
でも歌手の伴奏をするときは、歌の調子でどのホイッスルを使うか決まってきますし、ロー・ホイッスルがいいかハイホイッスルがいいかは、歌の感じを聞き取って決めます。

一番のお気に入りのロー・ホイッスルはGだと思います。
”Song of the Irish Whistle”のアルバムの中で、”Level Plain”はローGで吹いています。

ボストンポップスと作った”Celtic Album”のソロでもローGを吹いています。
ホイッスルを選ぶ時は、その作品には何が合うかを考えて選びます。

フルートは何を吹いていますか。

シルバーの重いミヤザワ(日本製)コンサートフルートです。
アルタスのアルトフルートも吹きます。

ブライアン・キーンとのお仕事はどのようにして実現したのでしょうか。
("Songs of the Irish Whistle"のⅠ、Ⅱ)

最初にブライアンと一緒に仕事をしたのは、彼がピアノのジョン・ボズウェルのアルバムを作っていた時でした。
私たちは楽しく仕事をして、ジョンの2枚目のソロアルバムの時も誘ってくれました。

それから1年後、ブライアンから電話があって、”Celtic Twilight"という彼が作っている「ニューエイジ」のアルバムで1曲吹かないかと言ってきました。

私はニューエイジって、どう吹いたらいいかわからないし、したくないと答えましたが、結局、素敵なエアーを1つ吹きました。
ショーン・オリアダ(Sean O'Riada)の作曲した"Woman of Ireland"を録音して、たくさんのホイッスルを重ねてホイッスルサウンドの壁を作ったみたいな感じでした。

このアルバムは大成功でした。
今では、ミリオンセラーに近づいていると思います。
ハーツオブスペース(レーベル)は”Celtic Twilight 2”のためにも1曲録音するようにと言ってきて、私たちは、"Black Rose"(Roisin Dubh)をやりました。
もちろん、同じ質を保ちました。
どちらも人気の曲で、ハートオブスペースは「2曲録音してくれたけれど、いっそ、アルバムを作ったらどう?」といってきました。
そのアルバムが”Song of the Irish Whistle”でした。

“Song of the Irish Whistle” はホイッスルのレコードではベストセラーです。
(タイタニックとリバーダンスを除けば)伝統曲と、伝統的ではないアレンジやレコード技術を混ぜあわせたものになっています。
コアな伝統主義者にはどう映っているのでしょうか。

このアルバムは、全くの驚きでした。
ホイッスルのアルバムが20万枚も売れるなんて、夢にも思いませんでした。
グリーンリネットの私の最初のアルバム"A Whistle on the Wind"は2万枚でした。それを思うと隔世の感です。
コアな伝統主義者に関しては、もし私がすべての人の言うことを聞いていれば、何処かで打算になってしまうでしょう?
私は音楽をとても大事に胸に抱きしめているので、それを傷つけたり、伝統音楽を守る自分の役割を変えたりはできないのです。

私の考えでは、心に浮かんでくる大好きな旋律を拾いあげて、すてきにアレンジしただけなのです。
純粋主義者からの手厳しいコメントを頂くこともあるけれど、みんなを満足させることなんてできませんもの。
批判より、好意的な意見のほうがずっと多いのです。
世界中の人からお手紙をいただいて、「これを聞いて、アイルランド音楽やホイッスルに興味を持つようになりました」と言っていただきました。
うれしい限りです。

PBS(公共放送協会)のボストンポップスの番組にゲストソリストとして出ていましたね。実現の経緯を教えてください。

ある日、ボストンポップスから電話をもらいました。
一緒になってアイルランド伝統音楽をアレンジする本物のアイリッシュバンドを探していると言うのです。
どこへ行ってもチェリッシュ・ザ・レディースがいいと言われるのだそうです。
彼らはCDを送ってほしいと言うので、チェリッシュのCDと"Song of the Irish Whistle"を送りました。
すぐに電話があって、「どうすればホイッスルの人に会える?」って言うんです。
「私です。」
「すみません。マネージャーだと思っていました。」
「マネージャーもしていますが…」
とにかくすばらしい組み合わせでした。
それ以来アメリカ中で多くのシンフォニーと一緒に演奏してきましたが、5、、6回はボストンポップスと一緒でした。
ボストンポップスの一番新しいCD"The Celtic Album"で私たちは何曲か録音しました。
うれしいことに最優秀クラシカルクロスオーバーでグラミー賞にノミネートされました。

チェリッシュ・ザ・レディースで演奏活動をしていることは、わかっていますが、私たちの読者にとって、他に何か知っておきたいことは…

わー。難しい質問ですね。
チェリッシュで年間150日はツアーに出ています。
だから、他にあまり時間はないのです。もしホイッスルのファンが、私たちがどこにいるか知りたかったら、チェリッシュのウェブサイトを見てください。

でも、家に帰っている時は、また、マネージャー役です。
幸いニューヨークに住んでいるので、多くの営業のお仕事や、レコーディングで一緒になった方々からのセッションのお誘いの電話がかかります。
それも楽しいです。
でも、いつも、作曲したり、次のホイッスルのレコードのために素材を集めたりしています。
次のアルバムはシンフォニーとしたいと思います。
たぶんアイルランドでアイリッシュシンフォニーか何かとレコーディングしたいと思っています。

世界中のホイッスル吹きは知りたがっていますが、”Song of the Irish Whistle”の3つ目の曲の冒頭で、どうやってあの音を出したのでしょうか?

ブライアンが、ホイッスルで他にどんな音が出せる?って聞いてきたのです。
で、色々やってみました。
でも、要するに、マウスピースを下唇の下に当てて、下向きに息を吐いているのです。
そうすると空気はプラグにあたって、かすれた音が出ます。
そして指だけを動かすと、あんなパーッカッションのような音が出ます。
あのCDは音がおかしいという批判が、ハーツオブスペースに100通も届いたそうですが、3曲目だけです。
説明するのが難しいですが、そういう音を狙ったのです。

こんなところでしょうか。

最後に、このインタビューを読んでくれている方に特別のご挨拶を送って、是非こう言いたいのです。

周りの人が気が狂いそうになるくらい、ホイッスルを吹き続けてください。

赤信号で止まるとき、テレビのコマーシャルの間、いつでもどこでもホイッスルを吹いてください。

奥さんや家族をホイッスルの音で大騒ぎさせてください。

これほど心を若返らせるものはありません。

始めたばかりの人へ、最高の演奏を聴いてください。
そして、がんばってください。
1日に15分だけしか練習できなくても、1年間の進歩は驚くものがあります。
もう1つ私が学んだことは、始めるのに遅すぎることはないと言うことです。
たとえ1曲しか吹けなくても、それで得られる満足は、大きなものです。
本当にそうです。

とにかく、ツアーで会えること、私たちのウェブページでつながり続けることを期待します。
皆さんの幸運を!
そして、このおしゃべりの機会を与えていただいてありがとうございます。
どうか、ホイッスル奏者の約束を忘れないでください。

このインタビューに時間を取っていただいた、ジョーニーに感謝!
ジョーニーは優れた音楽の才能を持っているばかりでなく、その性格はまさにホイッスル吹きです。
寛大で、気が利いていて、やさしくて、何よりも楽しい。
このインタビューを私のニュースレターに含めることができて、ぞくぞくするほどうれしいです。

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