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ケルトの笛 インタビュー

サラ・ボーハン(Sarah Bauhan)

※ このインタビューは、ホームページChiff and Fippleより、著作権保有者のDale Wiselyの許可を得て翻訳、公開しています。英語翻訳:村上亮子

 

ここ2、3年、Chiff&Fippleのメンバーが何人も、電話をくれたり、Eメールをくれたりして、ニューハンプシャーに住むフルートとホイッスルの演奏者、サラ・ボーハンに注意を向けるように促してきた。
彼女の演奏とCD(一番心に残るのは、1993年の"The Untamed Grasses")を聞けば、フルートやホイッスルの愛好家が彼女に引かれていく理由がよくわかる。
私は手帳に「サラ・ボーハンの活動をチェックすべし」と毎年書いてきたのだが、様々な出来事が重なって、最近まで実現しなかった。
ある時、ありがたいことにサラがEメールをくれて、最新のCD、”Broad Waters”を送ってくれた。
そのCDを聞き始めて5分もたたないうちに、私は頭を壁に打ち付けて、「オレはバカだった!」と叫んでいた。
2/4拍子で頭を打ちつけながら、「どうして、こんな音楽を今まで放っておいたんだ?」と言ったものだ。
本当に後悔した。

サラ・ボーハンが育ったニューハンプシャーのモナドノック地方は、ダンス音楽が生活の一部になっているようなところである。
サラは12歳でホイッスルを始め、2年後には人前で演奏していた。
サラの名付け親はフルート奏者で、彼女に大きな影響を与え、彼女のホイッスル演奏は名付け親の伝統的なフルート奏法の特徴を受け継いでいる。

1987年に、サラはボストンのヘイネス製の木のフルートを手に入れた。
レパートリーの多くの曲をフルートで吹き始め、しばらくの間ホイッスルを離れて、フルートに専念した。
しかし、クリス・アベルに出会って、彼の木と銀で出来たホイッスルを手にした時、彼女は再びホイッスルに戻ってきたのだ。
アベルのホイッスルのおかげで、サラはホイッスルにさらに真剣に取り組むことになり、ホイッスル奏者として成長して行った。
今日に至るまで、アベルのホイッスルが彼女のお気に入りである。
 

サラの最初のソロアルバム、"Chasing the New Moon" は、1991年に自身のレーベル(Whistler's Music)から発売された。
これは高い評価を得て、1993年には2枚目のアルバム"The Untamed Grasses”がアルカサール・レーベルから発売された。
他の人と一緒にレコーディングやセッションをする他、フェスティバルや、コンサート、ダンスパーティーで、国中で演奏している。
また、様々なところで、大人や子供にホイッスルとフルートを教えている。
1999年には、3枚目のソロCD、"Broad Waters(「広大な水域」=大西洋という意味)"が世に出た。

“Broad Waters”には、ギターや、フレットレス・ベース、ピアノ、キーボード、フィドル、ハープ、ハイランドパイプス、ボタンアコーディオン、バウロンの奏者が参加している。
このCDには、伝統曲や新しい曲が含まれているが、ゆったりした哀愁のある曲が多い。
ジョーニー・マッデンのソロのファンなら、サラの曲を高く評価するだろう。自筆のライナーノートに、自分の音楽の心を次のように書いている。

「アメリカに帰るために、大西洋の上空を飛んでいた時に、この大きく広がった海が、私の人生に占めている役割が理解できました。私の母は1956年にニューハンプシャーに移民してきましたが、ブリテンに残る家族との絆を大切にしていましたので、私たちはいつも海の向こう側、東のほうに目を向けていました。大西洋は、「つながり」と共に「別れ」を表しており、他のどの海とも同じように、移動と移民、離れ離れの生活と、時には、憧れを意味していました。」

左枠:デール(インタビュアー) 右枠:サラ・ボーハン

伝統音楽をする人にはよくあることですが、あなたも音楽的な家族と社会で育ったようですね。
私はニューハンプシャーのモナドノック地方のことは良く知らないのですが、あなたが育った頃、そこはどんな感じのところだったのですか?

年がら年中、コントラダンスを踊っているような所です。
本当にラッキーだったのですが、色々なことが重なって今の幸運を手にしました。
私の家族はもともとニューハンプシャーの人間ではないのですが、結局そこに落ち着くことになって、ネルソン(町の名前)のトールマン一家とお付き合いすることになりました。
ニュートとジャネットのトールマン夫妻は私の名付け親で、ニュートは伝統音楽のフルート奏者だったのです。
ニュートは町のバンドで演奏している叔父から習い、彼自身もそのバンドで演奏するほか、地域のダンスパーティーでも演奏していました。
ほんの子供の頃、何かの集まりで、グリーンゲイトのトールマンさんの家へ行ったことを覚えています。
ニュートはピーターバラ出身のカイ・ギルバートのピアノ伴奏でフルートを吹いていました。
ニュートはどちらかというと堂々とした立派な体格で、フルートを持って、大きな目をきらきらさせて、私のほうにかがみこむのです。
この仕草は、恐ろしくもあり、魅力的でもあり、私はこの仕草も彼の音楽も大好きでした。

これが、人生の最初の幸運なめぐり合わせでした。
2つ目の幸運は、私が小さなオルタナティブ・スクール(既存の学校制度以外の理念、教授法を持つ学校)へ通ったことで、そこでは、音楽やコントラダンスや芸術表現が重視されていました。

3つ目はフォークリバイバルや「ケルト」音楽の盛り上がりが、私の青春時代と一致したことです。
私は、70年代にアイルランド、イングランド、スコットランドからアメリカに押し寄せてきた音楽の波に飲み込まれたのです。

その間、地域の様子は変わりましたか?

もちろん、色々と変わりました。
ニュートやジャンのような高齢の方の多くは亡くなりました。
でもネルソンでは今も月曜日ごとにダンスパーティーがありますし、土曜の夜にはモナドノック地方のあちこちでダンスパーティーが開かれています。
一般的に言って、ニューハンプシャーやニューイングランドのダンスや音楽のコミュニティーは、とてもしっかりしていると思います。
ここの音楽は、ケルト音楽の国 ― 先ほど挙げた国 ― やブルターニュ、カナダのフランス語圏(ケベック)、スウェーデンなどの影響を強く受けています。
音楽の集まりやセッションがたくさんありますし、ボストンもそれほど遠くはありませんので、いい出し物があれば、車で行くこともできます。

ホイッスルを最初に教えてくれたのはどなたですか?

学校では、リコーダーを習いました(大概の小学校はそうですね)。
リコーダーは大好きでした。
それから、ニューハンプシャーのカンタベリーに住むダッドリー・ローフマンというダンスのコーラー(caller、ダンスの指示を出す人)が、週に1回来てくれて、コントラダンスを教えてくれました。
ローフマン先生は、まず、コピーした楽譜を4人の生徒に渡しました。
たくさんのジグやリールやホーンパイプやワルツの楽譜です。
私はリコーダーでそのうちの多くを吹けるようにしました。ある週、先生はやって来ると、私にジェネレーションのDホイッスルを渡してくれたのです。
次の週に先生が来るまでに、私はホイッスルを練習して、リコーダーで覚えた曲を全部ホイッスルで吹けるようになっていました。
それ以来、リコーダーに戻ろうと思ったことはありません。

その頃、手に入るホイッスルには何がありましたか?

母は時々イングランドに帰ることがありましたので、むこうでホイッスルを何種類か買って来てくれるように頼みました。
母は、ロンドンの楽器店へ行って、ペニーホイッスルがほしいと言った時のことを、面白おかしく話してくれたものです。
お店の人は居ずまいをただして、母のほうに身をかがめて、「奥様、フラジョレットのことでございましょうか?」って言ったんですって。
全部ジェネレーションでした。
当時手に入るのはジェネレーションしかなかったのです。
あとはクラークのC管だけでした。
私はすぐに、ジェネレーションを全部そろえました。

1912年製のボストンのヘイネス・フルートに出会った時のことを教えてください。

ハドソン川下流のクリアウォーター・フェスティバルでのことです。
私のバンドがそこで演奏していたのですが、たまたま、ヴィンテージ物の楽器を売っている店の横を通りかかりました。
それはフィラデルフィアから出店しているお店で(名前が思い出せないのですが、ヴィンテージ・インストゥルメント・ショップだったかもしれません)、その店でこのフルートを見つけたのです。
私はそれまで金属のフルートを吹いていました。(手が小さくて、シンプルシステム・フルートは吹けなかったのです。)
それで、お店の人に、試していいか尋ねてみました。
吹いてみて、何もかもすっかり気に入ってしまったのです。
値段だけは別でしたけれど…。
その週末の間に、何回もそのお店へ行って、このすばらしいフルートを吹きました。
車で家へ帰る途中にも、「どうしてもあのフルートを買わなくっちゃ」、と独り言を言い続けていました。
気もそぞろでした。
それまで楽器に対してそんな風に感じたことはなかったのです。
本当に幸運なことに、1人のエンジェルが現れて、そのフルートを買ってくれたのですが、さらに幸運なことに、そのエンジェルはひび割れしたヘッドをクリス・アベルのヘッドと取り替えてくれて、クリス・アベルのホイッスルもくれたのです。

フィラデルフィアのそのお店なら、聞いたことがありますよ。
たしか、以前マイケル・コープランドがその店に関わっていたことがあったと思います。
で、それが今日吹いたフルートなのですね。

そうです。
世界を全部くれるって言っても、手放しませんよ。
自分の不注意で失くしそうになったことが何度かあります。
だから、私とこのヘイネス・フルートの面倒を見てくれる人がいりますね。

大事にしている楽器を失くすということは、音楽家にとっては、特に辛いことですね。
最近、パット・モロイが、パトリック・オーウェルのフルートを盗まれた記事を読みました。

フルートを始めてから、しばらくホイッスルを封印していたようですが…

封印なんてしませんよ。
それどころか、ホイッスルを真剣に練習するために、何年もの間フルートを吹きたい気持ちを我慢してきたんです。

クリス・アベルとはどうやって会ったのですか?

いい質問ね。
まずは、アベルのホイッスルに出会ったのです。
これも、フェスティバルでのことで、クリスと友達になったブラッド・ハーレーが「ほら、吹いてごらん」って。このフルートに出会った時と同じくらい夢中になりました。
確か1年後の同じフェスティバルだと思うけれど、クリスがブラッドと一緒にやってきて…で、そのすぐ後、クリスのホイッスルを1セットいただいたの。
正確な年は覚えていないけれど、80年代の中ごろか、終わりごろのことでした。

最近吹いているホイッスルについて、教えてください。

いつも同じですよ。
クリスは少ししてローAも作ってくれました。これが一番好きです。

ではアベルのホイッスルは、ローAとハイDを持っているのですね。他には?

CとDとE♭、それからローAとB♭はひとつのヘッドを共有しています。

私もアベルのローAとB♭のセットを持っていて、とても大切にしています。
あなたの新しいCDは素敵ですね。このCDにはどのくらいの時間をかけたのですか。

98年5月に、このCDのことを考え始めました。
マルコ(一緒に活動していたギタリストのマーク・マレー)と私は秋になってリハーサルを始め、クリスマスの頃にはレコーディングを始めたのですが、完成したのは99年6月でした。

そのCDの好きな点が幾つかあるのですが…。
ひとつ驚いて、またうれしかったことは、フレットレス・ベースのケント・アリン(Kent Allyn)を使ったことでした。
それで思い出したのですが、伝統音楽ではほとんどベースを使うことがないのですね。

ケントは宝物です。
マルコとケントと一緒に仕事が出来たのは本当に楽しいことでした。
ふたりは、お互いに高めあい、教えあっていました。この種の音楽はケントにとって新しいもので、彼は物事を独自の感性で聞き、アレンジに斬新さを持ち込んだのだと思います。
私が音楽で伝えたいと思っている感じを彼はしっかりと理解してくれていました。

多くの伝統音楽の音楽家は自費出版でCDを出しています。
メジャー・レーベルの後押しなしで、CDを売るのは大変ですか?

イエスでもあるし、ノーでもあります。
どちらにも利点と不利な点があります。
自分で売り出していたら、自分でコントロールすることが出来るし、金銭的にも利益は大きくなります。
でも、広告費が十分なければ、人目に触れることが難しいでしょう。
1991年に私の最初のアルバムが自分のレーベルで世に出た時、ありがたいことに、たくさんの好意的なレヴューを書いていただいて、私もそれをプッシュして、おかげで、たくさん売れましたし、認められるようになりました。

2番目のアルバムはバーモントのレーベルから出ました。
こんなことは言いたくありませんが、事実ですから仕方がありません。
あれでは、私には全くいいところがありませんでした。
言ってみれば、悪いことばかりでした。(買い占められたしまったのです)支援に関する限り全くダメで、がっかりしました。

ですから、3枚目のアルバムでは、迷うことなく、自分のレーベルから出しました。
売れ行きは、ボツボツでしたが、いくつかいい論評をいただいて、評判も良かったです。
私の音楽が人に喜びを与えることが出来れば、満足です。

音楽だけで生活して行くことができますか。
それとも、他に仕事を持っていますか?

しばらくやってみましたが、教会のカビ臭い地下室で演奏するのに耐えられませんでした。
私は演奏で自活して、そこから抜け出すだけの力がなかったのです。
しばらくして、私は音楽を楽しみたいだけなのだ、音楽で生計を立てたいわけではないのだと感じるようになりました。
それで、今ではあまり人前で演奏したりはしませんが、フルートやホイッスルを教えたり、友達と演奏したり、たまにレコーディングしたりしています。
あっちこっちで、ちょっと演奏したりしたい―そんな風に仕事をしたいと思います。
とりあえずは、小さな父の出版社で働いています。
出版の色々な仕事をしているのです。

お父さんは小さな方なんですね…いやいや、ジョークはやめましょう。
フルートとホイッスルを教えているのですね。
ホイッスルを学ぶ人がよく間違えるのは、どんな点だと思いますか。

一番習得しにくいのは、呼吸だと思います。
指使いは、まだ簡単なほうです。
空気が、肺から口へ、そしてホイッスルの小さな円筒の中へと入って行く流れを、しっかりとコントロールしなければなりません。
このことを理解している人は、残念ながらあまりいないのです。
「吹く」というより、ホイッスルに空気を「押し込む」ということが理解できると、大きな進歩になります。
これが技術的な面です。

もうひとつ、私が強調しているのに生徒がよく手を抜くのが、「CD(もちろん生の音楽も)をよく聞く」ということです。
私がホイッスルを始めた時、フルートやホイッスルばかりでなく、フィドルの人の録音を繰り返し繰り返し聞いたものです。
それ以外にどうやって、マスターしたいと思っている「言語」の微妙な意味合いやニュアンスを理解できるでしょうか?
それでは、何も読んだこともないのに書こうとしているようなものです。

はい。お説教はここまで!

2つとも、私も同感です。
私もChiff&Fipple で時間を取りすぎて、練習不足で、いつまでたっても初級かせいぜい中級のプレーヤーなんです。
呼吸が自分にとっても一番難しいですね。音楽を何度も何度も聞くというのが大事なのですね。
インタビューをありがとうございました。それと、このとっても素敵なCDも。

この機会を与えていただいて、ありがとうございます。
それと、人々を結びつけるためにデールさんがなさっていることにも感謝しています。