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ケルトの笛 インタビュー

シルヴァン・バロー(Sylvain Barou)

このインタビューは「albumtrad」というブルターニュのCDショップが2010年に行ったものを、フランス語から翻訳して公開しております。翻訳:黒川彩子

出典 Sylvain Barou ホームページ

こんにちは、シルヴァンさん。
あなたはすでにアルバムを三つ出されています。
Albumtrad(伝統音楽を専門に取り扱うフランスの音楽サイト)のサイトにはすでにSualtamのアルバム、Comasのアルバム、Guiderviresのアルバムの三つがあり、これらは全てそれぞれ違ったグループのアルバムで、すべてアイルランド音楽ですが、参加しているミュージシャンや表現様式は全てバラバラです。
雰囲気も違いますよね。
これらのアルバムについてお話になる前に、どのようにしてアイルランド音楽を生み出しているのか、どのようにしてフルート奏者になったのかお聞かせください。
アイルランド音楽を始めたのは、意外なことにある「ブルターニュ人」のおかげなんです。
ブルターニュ出身の両親がアルプスの中(グルノーブルのこと)に逃げ込んだのですが、そこでおもしろいことに隣人(後で名前のあがるダニエル・ソルニエDaniel SAULNIERのこと)のおかげで木製のフルートを始めたのです。
この隣人がアイルランド音楽を長年にわたって演奏してる人で、私に最初の笛をくれたのもこの人でした。
このだいぶ後ですよ、ジャン・ミシェル・ヴェイヨンに会って、私がブルターニュに戻ったのは。
ブルターニュに住んでいるのも全てこの音楽のためですよ。

最初から木製のフルートに夢中になったのですか?

ほとんど一瞬にして恋に落ちました。

アイルランド音楽と出会うのは簡単なことでしたか?

私の場合はちょっと特別で、確かに簡単でしたよ。
というのもアイルランド音楽の小宇宙は家にありましたから。
父がアマチュアのバイオリン奏者でよく音楽を聴いていましたから、私もヴァイオリンをやるでしょう。
もう小さいころから聴いていました。
ビニウ(バグパイプ)もありましたしね。
まだ幼かったですが、この音楽に夢中でした。
エンドレスで音楽が流れていました。

幼いというと、いくつのころですか?

9歳か10歳ですね。
12、13歳のころにはフルートに出会っています。

最初のグループは、グルノーブルで活動されていましたね。

やる気にさせられてしまって、その人たちのグループに入りました。
ケオルCeolという名のケルト音楽グループでした。

ジャン・バンヴァルトJean BANWARTHとですね。

それとダニエル・ソルニエ Daniel SAULNIER、さっきお話したね。
彼のおかげでこの音楽にはまりましたから。
まさに毒をもられたみたいにね。

それからしばらくしてブルターニュにきましたね。
どうしてこの地に惹かれたのですか?パリでもいいですよね。

ブルターニュ音楽も聞いていましたし、好きでした。
初めて受けたセミナーがジャン・ミッシェル・ヴェイヨンので、私を認めてくれました。
それで全てが変わりました。

プロになられたのはかなり若いときですよね。

18、19です。

ケルト音楽、ブルターニュ音楽とくるとアイルランド音楽ですが、アイルランドでも早くから演奏していますか?

かなり早くから。
アイルランド音楽とブルターニュ音楽は平行して存在しているもので、両方演奏します。
どちらかだけをやるってことはできません。
両方やるというのが好ましい形です。

イリアン・パイプスもされますよね、フルート以外で他の楽器を演奏されることはりますか?

もちろん。
音楽に関することならアイルランドのものに限らず興味津々です。
それにそういったことをするのは自分のフルートの演奏に何かもたらすと思えるんですよ。
始めるのにためらいはありません。
バンスリ(北インド古典音楽の竹の横笛)とかいろんな楽器の要素を集めて、自分の音楽をよりよいものへと変えていくのです。

ブルターニュでのアイルランド音楽を演奏されたあと、Sualtamを発表されて、そのあとにComas。
このファーストアルバムはalbumtradのサイトにありますが、セカンドアルバムは出ないのですか?

やろうとはしていますよ。
ただね、みんなバラバラだから。

いろんな国籍の方がいるってことですよね。

そうです。
アイルランド音楽といっても、アイルランドに住んでいるわけではありませんから。
アメリカやベルギーとか。

それで今されているのが、最近アルバムをだされたGuidewiresですね。
世界中のいろんなミュージシャンが集まっていますが、どうやって若いブルターニュ人のあなたがこの中心にいるのでしょう?

よく聞かれる質問です。
まぁ友情ですよね。
よくアイルランドに行きます。
とりわけ11月のお祭りには他の外国人も演奏してまして、こうしたミュージシャンの中から毎年見つけてくるんです。
で、彼らとセッションをしたりしていたのですが、ある年、フェスティバルの最中に「グループをつくってみようじゃないか」って話になったんです。
これを「アイルランドの約束」って言うんですけどね。
で次の日、この日のことについてはなしていると、これはどうやら真剣だぞって気づいて。
一年後にベルギーで、アイルランドミュージシャンのポーリッグ・リンPádraig RynneのトリオとComasで何かをやらなければならなくって、それがとてもいい経験でした。
このベルギーでの出来事が、Guidewiresの誕生、つまりGuidewiresのアイディアの始まりなんです。

ポーリッグ・リンPádraig Rynneのトリオというと、トーラ・カスティTola Custy と ポール・マクシェリーPaul McSherryがメンバーでしたよね?(この三人が後のGuidewiresのメンバーとなる)

そうです。
フランスで行われた2007年のCosadeで、はじめてこのグループで演奏しました。
ぼくの他はアイルランド人でした。

このときからメンバーは一緒ですか?

ちょっと違います。
ジョン・ジョー・ケリーJohn Joe Kelly(バウロン奏者)がいましたから。

ジョン・ジョー・ケリーが出ていってしまいましたが、彼の後を埋めようとは思わないのですか?

いいえ。

ケリーほどにいい人を見つけられないからですか?

まぁ、それもあるけど、グループを形成するのに必要なのはハーモニーで、ギターのポール・マクシェリーPaul McSherryとかといい関係になってもらわなきゃいけないから。

ブルターニュに住んで、アイルランドで仕事をするのは大変じゃないですか?

問題ないです。
ナントからでもレンヌからでも飛行機が出ていますので。
私にとってパリに行くよりたやすいことですよ。

Comasと同じ問題なのですが、毎回、グループのメンバーを集めるのは?

そうです、とても難しいんです。
いつも集めるのには苦労します。
とてもややこしい作業ですよ。

聴衆や他のアイルランドミュージシャンは、あなたをどう受け入れているのでしょう?

アイルランドミュージシャンの世代はだいたい2、30、せいぜい35そこそこで、その上の世代よりは開けてはいるのですが、それでも簡単ではありません。
この音楽の重要なところを理解するのは、アイルランド人ではない音楽家にとって、簡単なことではないのです。
アイルランド音楽はとてもすばらしくて、本当にたくさんの国の人たちが演奏していますが、演奏していると気付くことがあります。
全てではありませんが山ほどあるCDを聞いてみると、何か差が横たわっているのです。
真ん中にぽっかりと、非常に伝統的な文化への興味やセンスが欠けているな、と思うときがあります。

つまり、そういった演奏者は本当のトップにいる人たちの音楽しか聞いていないってことですね。
地方やアマチュアの演奏の仕方に影響されている感じがしないと。

そうです。
とはいえ、徐々に興味を持つようになって、アイルランドへ実際に行き、本当の姿、音楽の魂を見ようとするミュージシャンも増えてきましたが。

今度はアイルランドにおけるブルターニュ音楽について。
アイルランドでは、ブルターニュ音楽は全く知られていないのですか?今日でも?

いまだに! 相対的に知られていません。
とはいえ、アイルランドのミュージシャンはよく話題にはしており、ブルターニュの音楽家にけっこう惹かれているんです。
ブルターニュ人とは言いませんよ、ブルターニュの音楽を演奏する人々に惹かれているんです。
というのも、彼らは80年代や90年代に演奏されていた音楽に影響を受けているので。

つまりGwendalやBarzazの影響を受けたということですね。
それでブルターニュ音楽というのが、総じて田舎のローカルな音楽という位置づけになっている。
LunasaやGuidewiresのようなアイルランド音楽グループをよく見かけますが、アイルランド音楽の中にブルターニュ音楽も体系的に位置づけられているのでしょうか。

ケルトという言葉が現れてくるでしょうね。

商業的な概念ですか?

まさにね。
商業的なアプローチ(批判的な意味ではありません)のおかげでヨーロッパ中に広まっています。
ポーリッグ・リンPádraig Rynneやトーラ・カスティTóla Custyのようなミュージシャンがブルターニュ音楽にどっぷり心酔しているのです。
そしてインスピレーションを得てすばらしい演奏をしています。
彼らの家に行ったことがありますが80%のCDがブルターニュ音楽でしたよ。

GuidewiresのCDにはliveとありますが、一方観客の前で収録したというわけではないのですよね。
スタジオで収録したわけではなく?

ライブのコンディションで収録しました。
舞台の上で、観客を前にしたのと同じように。
いつもやっているのとは違う、やりにくい場所に行って、コンサートのコンディションで演奏し、コンサートをいくつも録音して選ぶなんてことは、実際生半可なことではなく、時間がないことも含めて大変でした。
最初は「失敗したな」と思ったぐらいです。
ですが、ライブでのスタイルを記録に残したかったので。
あとで録音を聞きましたら、ライブとがっちり結びついていました。

それから、ミキシングのほうでもすばらしいできですよね、たしか。

ええ、Realworldにお願いしました。
Realworldの録音スタジオで働いているマルゴ・ミグリアリMarco Migliariを知っていたので。
もう二つのアルバムで、私たちの音楽をミキシングしてくれています。
音楽をうまく調整してくれ、とても才能のある人です。
以前から彼のアコースティックのアイルランド音楽に関わりたいと思っていました。
彼はパリにグループの音楽を録音するためにパリに来て、それから一年後Realworldの録音スタジオでミキシングしました。

このCDの評判はどうですか?よいですか?

アイルランドのプレスはよい評価をしてくれています。
アイルランド人ではない身としてはとても嬉しいことです。

このアルバムで成し遂げたというふうには思わないのですか?何かを確立したといったようなことです。

「ここで終わり」という風には考えません。
一つのアルバムが終わったら、「次は」というふうに思えるから。

Guidewiresのlive2はないのですか?

アルバム2枚目はありえます。

誰とされますか?
今のメンバーと同じですか?

ええ。
おそらくはゲストを数人招いてね。

ツアーなどの話ですが、日程を決めるのは簡単ですか?

今はとても難しい時期にいると思います。
とりわけ、アイルランド音楽のグループが市場にたくさんありますが、この市場で他の人たちの音楽を前にして自分の音楽を定めるのはとてもむずかしいことです。
永遠の挑戦ですよ。

アイルランド音楽が10年ほど前のような人気ではないように思いませんか?

まさにモードがありますよね。
サイクルがあると思います。
アイルランド音楽がはやっていたのは確かです。
Guidewirsのようなグループは、この音楽を演奏するのに超商業主義によっているとはいいがたいでしょう。
歌もないですしね。
詳細に音楽を提供することではなく、色々とプログラムを編成することに取り組んでいるのです。

次にお会いできるのはブルターニュですか?それとも大雑把にフランスで?

2011年に。
6月にアイルランドで演奏しました。
けっこうな数のフェスティバルがヨーロッパでありますが、フランスはありません。
2011年にツアーをするためブルターニュのエージェントと組んでいます。
今のところこれ以上の情報はありません。

今まで話した以外の計画は?

私の次の計画ってのは、次々に姿を変えていくものでね。

ソロアルバムは?

出します。
計画中です。
今準備しているところですよ。

(2017年追記)Silvainは2015年に ソロ・アルバム「Silvain Barou」を発表、Guidwireは解散となり、ペルシャ音楽、インド音楽、ジャズ・フュージョンの分野での活動をするようになりました。