【最新号:クラン・コラ】Issue No.319

クラン・コラはケルト音楽、北欧音楽に関する話題をお届けする国内でたったひとつのメールマガジンです。

毎月20日頃に読みもの号として各ライターからの寄稿文をお届けします。

この音楽にご興味のある方ならどなたでも寄稿できますので、お気軽にお問い合わせください。

読者登録はこちらから!

クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.319

Editor : hatao
December 2020
ケルトの笛屋さん発行

【私とケルト音楽】第16回: 楽器工房ダルシクラフト 井口敦さん 後編:天野朋美

https://celtnofue.com/blog/archives/6697

Colleen Raney アメリカで伝統をうたう試み・その30:大島 豊

アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。

5枚め最新作《Standing In Doorways》の第6回。

5. Dark Horse on the Wind {Liam Weldon} 4:22
リアム・ウェルドン(1933-1995)はアイルランド伝統歌のすぐれたうたい手であり、ソングライター。この歌はかれの代表作として名高い。ダブリン出身で、生家の裏にトラヴェラーの一家が住んでおり、かれらの歌に衝撃を受けて歌いはじめる。強靭な声を強く発声する、アイルランドでは特異なスタイルのシンガー。ボシィ・バンドの前身のバンド1691でバゥロンを叩いてもいた。広く世に知られるのはドーナル・ラニィとミホール・オ・ドーナルがプロデュースした1976年のソロ《Dark Horse On The Wind》による。ウェルドンのオリジナルと伝統歌を集めた1枚で、二人のプロデューサーはウェルドンの歌に最低限の伴奏をつけただけで、できるかぎり本人の歌を素のまま提示しようとしている。タイトル・トラックのこの歌も無伴奏だ。

歌そのものは1966年、イースター蜂起50周年の節目に作られた、というより、内心から迸った。その結果として一応の政治的独立は達成したものの、蜂起を主導して処刑された人びとの夢は実現にほど遠いことを指摘し、その夢を題目に掲げるだけで実質的に放棄してしまっている人びとを批判し、奮起を促す。というのが基本的意図ではあるが、この歌はそうした時事的なモチーフを超えて、いつどこであっても、理想を掲げて弾圧されている人びとの想いを代弁し、受け継ぎ、掘り起こす。聴く者は背筋を正さずにはいられない。同時に歌う者も、これを歌う以上、背筋を正さずにはいられない。この歌をうたっている録音は少なくないが、オリジナル同様、無伴奏が多い。

またウェルドンは ‘wind’ を「ウィンド」ではなく、「ワインド」と発音し、以下、いずれもこの発音を踏襲している。

a. Dark Horse On The Wind, 1976
まずは作者自らの畢生の歌唱を聴くべし。CD化されている。アルバム自体、アイリッシュ・ミュージックの歴史に残るものだが、このタイトル・トラックに籠められたものは格別。一語一語、一音一音、聴く者の胸の底に深く打ちこまれてくる。

b. Sean Tyrrell, The Orchard, 1998
http://www.seantyrrell.com/

ショーン・ティレル(1943-)はゴールウェイ出身のシンガー・ソング・ライター。1960年代後半から70年代にかけてアメリカに移住し、ボストンやサンフランシスコに住んで、音楽活動をしたこともある。1978年、クレアのバレンをベースにして University College Galway の仕事をするようになり、デイヴィ・スピラーンと知り合って、音楽活動を再開し、1995年にスピラーンの協力でソロ・ファースト《Cry Of A Dreamer》を Hannibal からリリースする。マンドセロを主な伴奏楽器として、がつがつと岩を刻むように歌う朴訥なスタイルながら、カリスマの強い歌と歌唱は、ウェルドン同様、アイルランドにあっては特異な存在だ。ウェルドンもティレルも、ヴァン・モリソンにも匹敵する孤高の存在で、軽々に系譜とか流れとか語れるものではないが、ティレルがウェルドンに共鳴しているのは、このヴァージョンでもよくわかる。

このアルバムはセカンドで、これ以後、自分のレーベルでこれまでに9枚のアルバムをリリースしている。2014年の《Moonlight On Galway Bay》が最新だが、ライヴはコロナ騒ぎが始まるまで、元気にやっていた。

C. Sean Tyrrell, Live; 2005
2002年のツアーと2004年のゴールウェイでのセッションからのライヴ集。チューンではバンジョーやテナー・ギターも弾いている。歌は基本的に自身のマンドセロを伴奏としたソロ。歌唱は上記のスタジオ版とほぼ同じ。マンドセロの伴奏はコード・ストロークでも、カウンター・メロディでもなく、むしろジャズのピアノに近い。声が濁ってダミ声になっているが、この人の場合、それもむしろ魅力になる。

c. Susan McKeown, Lowlands, 2000
ダブリン生まれでニューヨークに移って開花したシンガー。1996年の《Bones》から2005年の《Blackthorn》まで、アイルランドの伝統歌とその流れを汲むオリジナルを集めた、アイルランド本土ではまずできないような質の高いアルバムを出している。アイルランド語も英語も一級のうたい手。コリーンのこのアルバムの次のトラックの作者でもある。2000年代半ばからクレツマーを歌いはじめ、アメリカのラディカルなクレツマー・バンド The Klezmatics がウッディ・ガスリーの歌をクレツマー化した《Wonder Wheel》でリード・ヴォーカルを務め、グラミー賞を受賞した。

ここでは冒頭に吹きすさぶ烈風の音を入れ、歌は無伴奏。作者、ショーン・ティレルと比べても一歩も引けをとらない名唱。

この歌の項、まだ続く。(ゆ)

2020年最後の投稿:field 洲崎一彦

さて、今回は2020年最後の投稿になります。思えば4月の緊急事態発令の頃は年末には楽しいクリスマスパーティーでもしているだろうとぼんやり考えていました。甘かったと言えばそれに尽きるのですが、現実はそのクリスマス直前に再び緊急事態ならぬ飲食店への時短自粛要請が出る事態になりました。

もう、このクランコラ誌上にコロナの事は書きたくないと何度も思いつつ書かざるを得ないこの気持ちにどのように整理をつければいいのか判りません。

私はアイリッシュパブの経営者ですから、飲食店としての存亡も目の前の大きな問題です。が、少なくともこのクランコラ誌上では音楽の話題に終始したい。このように思えば思うほど毎月の原稿締め切りまで何も話題が浮かばずに何も書けないという月日が流れています。

今回は、今年最後の投稿です。でもしかし、今年を締めくくる上でどうしてもやはりコロナが立ちはだかるのです。

今年は、世間的にはコロナ禍、プライベートでも色々な問題が起き、私個人的には環境の一部や考え方が大きく変化した年でした。そんな中で、もう非常に永い年月にわたって私自身の心の中心に鎮座している音楽というものを再考する機会が多々ありました。

音楽が私の中に鎮座し始めたのは10代の頃になります。それからもはや半世紀。少しづつ修正を加えながらもずっとそこに鎮座して来た。が、今年気づいたのは、まさにただ鎮座させて来ただけではなかったか?という事です。

イメージで言う方がいいかもしれません。例えば、心の中の床の間に祭り上げて置いてあって時々ホコリがかぶれば掃除するというような永い年月。つまり、ただ置いてあっただけ。そして、何故そんなことになっていたかと言うと、そこに日常というものがあったからです。そして、その日常が今年は突然崩壊したわけです。すると、ただ床の間に置いておくのではその音楽というものが機能しなくなった、意味の無いものになった。とまあこういう事ではないでしょうか。

仕事や生活の糧というものも日常の中にあり日常だからこそ営々と続いているのですが、こちらは床の間なぞに祭り上げているものではありません。こちらの方はいつも表玄関に構えていて常に動いている。それだけに日常が崩壊すればこちらもすぐに影響を受ける。だから、すぐに何らかの手当をしなければいけない。

ここのバランスが微妙なのですね。例えば音楽を生業にしている音楽家の皆さんは音楽が表玄関に構えているわけですから、この事態になって「音楽とはなんぞや」などと考えているヒマなどありません。

そこで、私のように、アイリッシュ音楽のセッションの場を主催するパブの経営者という立場。これは実に微妙です。この実に微妙な図式の中で日常が失われた。だから判ったこと。それが、私は音楽を床の間に置いていた、という事なのです。

なんとも言うに言われぬようなイメージの話をし始めてしまいました。理屈ですぱっと言い現すことが出来なくて非常にもどかしい気分ですし、多くの方は「わけがわからん」とおっしゃるかもしれません。

言葉が足りていないのは重々自覚していますが、これ以上語るとウソとこじつけが混じる恐れがあるので、短いですがこのあたりで筆を止めることにします。

最後に、コロナは年をまたいで引き続き私達の日常を破壊して行くのでしょう。しかし、コロナがどうなるのであれ、日常がどうなるのであれ、私は私の音楽を床の間から引きずり降ろすことをひとつの指針にして残りの人生を歩もうと考えています。

わかがわからない上にちょっと大げさなシメになってしまいましたが、まあ来年のモットーぐらいな意味で。。。(す)

バウロン奏者キャラム・ヤンガーへのインタビュー:メリッサ・ウェイト 村上亮子翻訳

https://celtnofue.com/blog/archives/6915

編集後記

今年もご愛読をありがとうございました。クラン・コラが継続できているのはライター陣の皆様のおかげです。

この音楽に興味のある方々に少しでも楽しみを提供できていたのでしたら、幸いです。

ご感想はハッシュタグ#クランコラ でTwitterでつぶやいてください。

編集者が拾って、各担当に届けます。

きっと喜ぶと思います。

当メルマガ及び「ケルトの笛屋さん」のコラム・コーナーでは、ライターを随時募集しています。

ケルト音楽に関係することで、他のメディアでは読めないもの、読者が興味を持ちそうな話題を執筆ください。

頻度については、一度にまとめてお送りくださっても構いませんし、 毎月の連載形式でも結構です。

ご応募に際しては、

  • CDレビュー
  • 日本人演奏家の紹介
  • 音楽家や職人へのインタビュー
  • 音楽旅行記

などの話題で1000文字程度までで一本記事をお書きください。

ご相談の上で、「ケルトの笛屋さん」に掲載させていただく場合は、1文字あたり0.5円で買い取りいたします。

ご応募は info@celtnofue.com までどうぞ。

★全国のセッション情報はこちら

★全国の音楽教室情報はこちら

関連記事

https://celtnofue.com/blog/archives/394