ケルトの笛屋さん創業者がケルト音楽普及にかける思いとは

当店の創業者hataoが、ケルト音楽を普及したい学生さんから研究発表のために質問を受けましたので、筆記で回答をしました。

hataoが何を思って普及活動を行っているのか、この機会にお伝えできればと思い、一部加筆して公開することにしました。

質問一覧

Q1

ケルト音楽※普及活動の目標は何ですか?

※ここではケルト音楽=アイルランド音楽という文脈で質問を受けていますので、そのように回答しています

私はアイルランド人でもアイルランド文化を代表する立場でもありませんから、アイルランド音楽を日本に普及させることを第一の目標としているわけではありません。

アイルランド音楽は、私やCCÉ(アイルランド音楽家協会)や演奏家達の活動によって結果的に普及するのかもしれませんが、普及することが良いことかどうかを私は判断することができません。

私が本当に目指しているのは、「アイルランド音楽を普及させる」ことではなく、「ヨーロッパ伝統音楽の楽しみを誰の手にも届くようにする」ことです。

ソフト面においてそれがアイルランド音楽でなければいけないわけではありません。

その根源にある思いとは、日本人が陥りがちな、音楽は日常と切り離された特別な、お金を払って習うものであり、苦しい練習を乗り越えて、才能と資金に恵まれた限られた人だけが得られる喜びである、という思い込みを解き、お金がなくても、何歳からでも、苦しい練習をしなくても、楽器を練習する最初のときから喜びがある、そういった音楽の楽しみ方を伝えたいということです。

なぜなら、それによって私は救われ、私の人生が豊かになったからであり、それを次の人につないでゆきたいと思うからです。

この性質を最も体現するのが、私にとってはケルト地域の伝統音楽です。

Q2

普及において気をつけていることは何ですか?

伝統音楽に思い入れがあるあまりに「原理主義」にならないことです。

「これは伝統ではない」とか、「これはアイルランドのものではない」とか、音楽を「正しいか、間違っているか」「好きか嫌いか」の色眼鏡で見ずに、多様な音楽と音楽の在り方を受け入れる柔軟な感性を持ちたいと思っています。

これは自分自身が教育者・経営者としても戒めていることで、いま、ゲームやアニメなどサブカルチャーの方面や、またアイリッシュ・パンクロックに惹かれて伝統楽器を始める人も多いですが、それを否定するような考え方を持っていては、広がってゆきません。

自分がその音楽が好きかどうかは置いておいて、多様な音楽のあり方や楽しみ方を尊重したいと考えています。

Q3

hataoさんにとってアイルランド音楽の魅力とは何ですか?

これほどまでにアイルランド音楽が世界中で広く愛されるのは、「型」がしっかりとありつつも柔軟で多様だからです。

伝統と「型」は表裏一体ですが、ともすると「型」にはまった伝統は画一的で柔軟性に欠けやすいものです。

その点アイルランド音楽は多様であり、緩やかです。

そのため、外国人にも参加しやすいという、民族音楽でありながら普遍性を備えるに至ったのではないでしょうか。

この「型」を理解して使いこなせるようになれれば、非アイルランド人にも平等にこの音楽を楽しみ、そして音楽コミュニティに受け入れられるチャンスが与えられる。

それが私が感じるアイルランド音楽の魅力です。

Q4

ケルト人の存在については諸説ありますが、最新の研究でこれまでの定説が覆されることによって、hataoさんのケルト音楽観に変化はありますか?

民族学的なケルト人と「ケルト」音楽に関わりはないと私は考えています。

なぜなら、古代民族のケルト人と、現代の「ケルト」音楽に一貫性がなく、それを結びつけるならば商業主義による恣意的な解釈か、そうでなければ論理性を欠いたファンタジーだからです。

実際のアイルランド音楽やその周辺地域の関連する伝統音楽は、グラデーション状に連続的に変化しながら広義のヨーロッパの伝統文化というカテゴリーに収斂してゆきます。

たとえば、「ケルト音楽」と見做されるアイルランド音楽、スコットランド音楽と、「ケルト音楽」とは見做されないイングランドの東北部の伝統音楽には、同じ「ケルト音楽」であるガリシアの音楽よりも多くの共通点が見られるのですが、それをケルトであるかそうでないかという風に切り分けるのは、ナンセンスなのです。

同様にブルターニュ音楽はアイルランド音楽よりはむしろ中世フランスの踊りと関連がありますし、ガリシア音楽もまた中世スペイン音楽の一部から派生しています。

そして、「短いメロディをユニゾンで何度もリピートする」というアイルランド音楽の最大の特徴ひとつとっても、それははるか東ヨーロッパまで共通する特徴であったりもします。

ですから、アイルランド音楽に思い入れがあるがために他の地域の伝統音楽を知ろうともせず、アイルランド音楽が特別だと思いたいというのは、とても恥ずかしいことなのです。

以上を踏まえてもなお、私があえて「ケルト音楽」を主張するのは、「ケルト」の音楽に共通するある種の音楽的な特徴を他の音楽よりもことさらに愛するからにほかなりません。

Q5

ケルト音楽初心者を対象にした普及活動を行うことは考えていますか?

先述のとおり、私は特に「ケルト音楽」や「アイルランド音楽」の普及を第一目標にしているわけではありません。

大切なことは、ヨーロッパで見られるような、専門的な音楽訓練を受けたわけではない普通の人が、楽しみや人とのコミュニケーションの共通言語として日常の中で音楽を楽しむ姿を、日本でも広めたいということです。

西ヨーロッパの人々と東アジアの私達は、生活習慣やコミュニケーション・スタイルが本質的に異なっていますから、彼らの伝統音楽をそのままの形で日本に持ち込むことは現実的ではありません。

生の姿の異文化は、時として私たちにとってはどぎつく、受け入れがたいと感じることもあるものです。

そのため、私のフィルターを通した教材製作や楽曲制作や音楽教育や楽器販売によって、日本人が無理なく自然な形でヨーロッパの伝統音楽を楽しめるようにしてゆく、その下地を作ってゆきたいと考えています。

私は言語学習が大好きなのですが、言語の「翻訳」は大変興味深いと感じています。

それは、翻訳者の知識・経験やものの見方・考え方が色濃く翻訳に出るからです。

私は、文化の翻訳者でありたいと思っています。

そのような活動が、結果的に初心者に間口を広げて、ケルト音楽愛好家の裾野を広げることになれば、大変光栄なことです。